ロンドンの悲劇2005年07月10日 22時31分21秒

 ロンドンのテロを、何らかの既視感めいたものをもって、私たちは見ていたのではないでしょうか。
 やはり来るものが来たと思ってしまう部分があるのです。

 あのような惨劇を引き起こす人々の、それをやりとげる意思を支える、「正義感」の恐ろしさを感じます。
 ただし、恐ろしいといえば、毎日のように何十人単位でイラクなどで、殺されている人々がいるのに、その報道には慣れてしまっている私自身の感覚も、さらに恐ろしいといえます。

 「対テロ戦争」なる、無辜の市民を死に至らしめることになる攻撃(アフガンやイラクやパレスチナで)を命じた人々の「理性」に潜む狂気と、同質のものがロンドン・テロを実行した人々の「正義」にも染みついています。

 無差別テロや無差別殺傷「反テロ」戦争を遂行する、「正義」や「理性」に対して、日々の暮らしを保守したい市民の意思をぶつけていくことを基底にして、考えていきたいものです。

ロンドン・テロに関するバックラッシュ2005年07月13日 23時16分08秒

まったく不条理なことですが、イギリス全土でイスラムの人々への不当ないやがらせ、暴力沙汰が起きていると伝えられています。
http://www.iht.com/articles/2005/07/12/news/bias.php モスクが放火されそうになったり、イスラムが忌む、血塗られた豚を投げつけられたりまでされているそうです。殴られる、住居のガラスを割られる、女性がスカーフを引っ張られる、汚い言葉を投げかけられる、等々の被害の報道(それは実際にあることのほんの一部に過ぎません)に接すると、何とも言えない暗い気分になります。

「1000%増加した」と伝えられる、そのような低劣なracist的行為に対して、平穏な暮らしを求める、イスラムの人々は自制的・理性的に対応していかざるをえません。そうでなければ、イギリス社会で、少数者のムスリムが生存を確保していくことは難しいからです。結果的に、彼・彼女らこそ、市民社会的理性を体現している存在になっているといえるでしょう。

イギリスの圧倒的多数の市民も、人種主義や排外主義の暴力的な雰囲気に同調していくとは思えませんが、ヨーロッパにおいても、一部に排外主義的な雰囲気が広がっていることは確かです。

そして、こうした傾向は、日本でも他人事でないことは言うまでもありません。 韓国・朝鮮や中国に対しての攻撃性が、「歴史問題」や「領土問題」を通して煽られ、蔓延しているのが現在の日本社会です。

特に、閣僚・準閣僚級や首都の知事といった「地位」にいる政治家が非常識な極右的放言を繰り返し、大声で怒鳴るしか能のないような評論家が現代版「対外硬」をTVで叫んでいることに、少なくない人々が溜飲を下げる、この雰囲気は、非常に危険であることは確かです。

おりしも、栃木県大田原市では「国に誇りをもつ教育を行うために」、<新しい歴史教科書をつくる会>系教科書を採択するとの報道がありました。その教科書そのものよりも、浅薄な政治的意図で、その教科書採択を運動化して推進する政治勢力の冷戦以前型の思考・行動様式自体が不気味といわざるをえません。

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ポスト小泉の展望(1)2005年07月17日 22時56分22秒

郵政民営化法案をめぐって、小泉内閣の前途に暗雲が立ちこめています。参議院では、法案は否決される可能性が高いと言われています。しかし、それはあくまで、現時点での可能性の高さです。
なぜなら、自民党の片山虎之助参院幹事長が言うように、「否決され衆院解散したら、自民党は分裂選挙になる。そうなると自民党は崩壊し、政治は空白になる」という危険を回避しようという努力が、その「可能性」を事前に抑えこもうとするでしょう。

自民党の議員の圧倒的多数は、郵政民営化に命をかけているわけでも、小泉首相の漠とした改革路線をあくまで貫徹しようとしているわけでもなく、彼らにとっては、自分の議席と自分たちの権力構造を温存することが絶対必要条件なのです。
ですから、否決→衆院解散→総選挙と、権力構造が「崩壊」する方向に簡単に事が運ぶとは思えません。

ですから、片山さん・青木さんという人達は、「否決」という最悪の事態を避ける、いろいろなオプションを用意するでしょう。
とはいえ、否決がないとしても、小泉政権がほぼ終わりに近づいたことは間違いありません。すでに衆院の採決結果と、反対派を処分もできない小泉さんの落ち目ぶりは明らかです。「崩壊」を招く方向にあくまでこだわれば、地方も含めて、小泉さんは自民党の多数から完全に見限られることになるはずです。その具体的なあり方は、「政局では何が起こるかわからない」ので決定的なことは言えないということでしょう。

さて、どちらにしても、小泉政治が終わるとすると、これからどうなるのでしょうか。
たとえば、阿倍さんとか、都知事の石原さんとかという、もっとも右の危ない潮流が主流になっていくでしょうか。
あるいは順当に次の世代のリーダーが、適当に手打をして、内政では新自由主義改革と既成の自民党の基盤との矛盾を緩和し、外交では<靖国>に見られる無謀無策を修正する本来的な保守政治の伝統を踏まえた道へ進むでしょうか。
それとも(解散・総選挙を当面は前提にしてでしょうが)民主党が参加した中道・保守のややリベラルな方向に大きく舵を切ることになるのでしょうか。

多くの人が指摘しているように、ここでの方向付けは、単なる「政局」では終わらない、日本の進路を左右しかねない道の選択につながる可能性があります。
結局、日本の社会のあり方が、今どうなっているのかを踏まえないと、ポスト小泉がどうなっていくのかも見えてこないでしょう。

スコットランドヤードによる誤射2005年07月24日 16時24分41秒

ロンドンの地下鉄でテロ犯罪の関係者とみなされて射殺されたのは、まったく無関係の、電気工事関係の仕事をしていたブラジル人メネゼス氏(27歳)だったという。
http://www.asahi.com/international/update/0724/004.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/4711639.stm
一般に、地下鉄などの公共の場所で、いかつい男達に突然追いかけられ、銃を向けられたら、誰でも咄嗟に逃げ出すだろう。

今回の私服警察官たちの風体がどうであったかはわからないが、射殺されたデメネゼス氏が、突然追いかけられて恐怖を感じて逃げたとしても、不自然ではない。

目撃者は、彼は追いつめられた狐のようだった、と言っていたので、おそらく一切抵抗はしていなかったのだろう。しかし、爆弾をもっている可能性があるからと、一方的に5発も銃弾を撃ち込まれたのだ。

自爆などを防ぐために、頭部を狙って射殺するよう、警官達は命令されていたとも伝えられている。
まったく、悲劇というしかない。

イスラム系をはじめ、外国人に対する排外的攻撃と同様の、テロが生む出す恐怖と猜疑の連鎖の結果だ。

このような悲劇は、日本においても起こり得る。いったんテロなどが起これば、パニック的な反応が蔓延することは、昨今の日本のメディア状況や社会心理を見れば、明白だ。

「テロとの戦争なのだから多少の犠牲やリスクは仕方ない」との言説も流布されるだろう。しかし、ほとんどの場合は、そのような意見は、いかにしてリスクを少なくするのか、このような悲劇を避ける方法をどう構築するのかという具体論を封じて、既成事実を容認させる作用をもたらす。

ロンドン地下鉄での誤射(再)2005年07月25日 23時31分17秒

 どうも誤射されたブラジル人の方は、滞在ビザが切れていたことが原因で、私服警察官から逃げ出したのかもしれないと報じられています。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/4713753.stm

 しかし、そうだからといって、「疑わしきは罰せず」という民主主義社会の原則から考えて、(もちろん、それは直接的には、法を裁判において適用する際の原則でしょうが)、違和感を禁じ得ません。

 たしかに、「自爆テロを行う可能性が高いと推定できる根拠」があった場合に、何らかの実力によって、緊急に行動を阻止する必要があるでしょう。
 しかし、今回の場合、反撃ないし抵抗をどれだけしたのかがわかならい相手の頭部に、銃弾を浴びせて射殺することでしか、行動を阻止できないのかは、現時点では疑問です。

 また、たとえ「自爆テロ」の阻止には、警察による発砲が不可欠だとしても、一般市民が、公共の場所に私服警察官が多数いることを知っており、またその指示に従わないと即射殺するという法的権限を与えられているという(乱暴な)事実を周知されているということが前提にないと、(殺される)市民の側は納得ができないでしょう。

 本当の「自爆テロ」犯が、「いやーご苦労様です」と警察官に近づいてきて、爆弾を爆発させるということを、どうやって防げるのでしょうか、などとも言いたくなりますが、どちらにしても深刻な事態です。

 どんなに市民としては平等の人権があると抽象的には言えても、皮膚の色や服装・言葉などの差異が、このような状況ではものをいうわけです。

 無差別に市民を殺傷するテロリズムが、何も積極的なものを生み出さなず、自由と民主主義を破壊していくということは、再確認できます。

 しかし、具体的に、無差別テロが起こりにくい社会を築き、テロの背後にある憎悪を緩和する、対外的な政策を展開するために、政府当局者が検討し議論がすべき選択肢があるはずです。
 無差別テロという許し難い蛮行は、そのような理性的な対応や努力を、「生ぬるい」と思わせてしまう現実的根拠を生むものでもあります。
 まさに、悪循環をつくりだすわけですね。それもまた、テロの恐怖です。

 日本も実は多くのテロを経験しているのですが(近代を通して)、私たちは忘れることにしています。それで、このまますむのでしょうか。たしかに、中東や西アジアに対する英米の関わりと、日本の「おつきあい」とは、質的に次元が異なるとはいえるのですが・・・。

6カ国協議で共同文書作成へ2005年07月29日 23時23分33秒

北京での6カ国協議は、共同文書を作成することに合意したといいます。しかし、おそら北朝鮮の核廃棄への具体的道筋を完全につけるような合意はできないでしょう。

将来の合意の方向に向けた、基本的な原則を確認するということになるのでしょう。
とはいえ、それが無意味というわけではなく、アメリカが北朝鮮を主権国家として認め、攻撃の意思がないことを明言したことに象徴される、<米朝合意への道>は、ジグザグはあっても基本的に進められるという意義が見いだされるのではないでしょうか。

そこで、問題は、日本の立場です。 靖国問題で、東アジアで半孤立の道を歩み、対米も含めて独自のカードを持とうともせず、しかも、郵政国会=政局で求心力を低下させている小泉政権が、まったく役割を果たせないで、この協議は終わってしまうのでしょうか。

拉致問題で原則を主張することは、もちろん必要ですが、実質的な意味で、その解決への見通しをますます困難にする方向に事態が動いてしまっているといえるでしょう。

アメリカが小泉政権の救出を、他の諸利害よりも優先させるという選択の中で、北朝鮮との合意への道に、北朝鮮のメンツと利害の両面で誘導できるようなプッシュをしてくれる、というありそうもない事態によってしか、小泉政権による拉致問題の進展ないと思えてきます。

結局、1)北朝鮮を東アジアの経済関係に引き込むことをテコにしつつ、2)政治的な駆け引きを行い、3)現北朝鮮内の現実主義者たちを育てていき、4)長期的には全体主義体制を解体していく方向でしか、問題の解決はないでしょう。

そのためには、日本の中に指導力のある政権をつくることが不可欠でしょう。効果のない経済制裁のみを呼号することの無意味さを、国民に納得させられる指導力が必要だからです。とりもなおさず、そのような指導力が生まれる社会状況とは、結局、国民とメディアの中で理性的な討論がある程度なされるということを意味します。残念ながら、日本の現状はそれとは遠いところにあります。

いっそのこと、小泉末期政権が対外関係をまったく考慮せず、対北朝鮮経済制裁に踏み切り、日本が完全にカヤの外に置かれて、拉致問題の解決どころか、東アジアの孤児となり、日本経済に悪影響が出るというところまで、その意味を国民が経験してみるということも、必要なのかとも思ったりもします。しかし、それはまさに<国際連盟脱退>のあの時期の、日本の社会心理を再現するだけでしょうか。
かなりの人々の、ヒステリックないさましい空元気を聞いていると、やはりそうなると多くの国民は<戦争だ!>となっていくのかもしれません。

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「主人」という呼び方2005年07月30日 21時57分15秒

何げなくある今日の夕刊の投書の類を読んでいたら、「主人と恋人気分で云々」という表現にぶつかりました。

私は、いつも夫を「主人」と(特に公の場で)呼ぶのを見聞きすると、それに小さな違和感を感じてしまいます。同様に、妻を「家内」と呼ぶのも引っかかるのですが・・。

もちろん、それは個人の言葉の使い方であり、いわば趣味の問題です。ただ、若い女性がロマンティックな「恋人気分」について書かれていたので、そこに「主人」という言葉に、しっくりこないものを感じたわけです。
一般的に言えるかどうかはわかりませんが、「夫」や「妻」という語に比べて、「主人」「家内」「奥様」等の語は、もとの意味を意識しようと思えば意識しやすい(露出しやすい)言葉のように思います。

ありていに言えば、私が「主人」という言葉に一番の違和感を感じるのは、「主人」という言葉が、<主-従>なり<主人-奴隷>なりの関係を連想させやすいから(少なくとも私の中では)です。

私の配偶者も、私のことを「主人」と言うことはない(と思うの)ですが、セールスなどの電話や来訪で、見知らぬ人から「ご主人様ですか」などと言われると、正直言って非常に困ります。つまり尋ねている人は、<あなたは結婚していらっしゃいますか?そして、もし結婚しているなら男性のようなので、御妻君ではなく御夫君ですよね?>とでも言いたいのでしょう。

まあ、どちらにしても、こういう質問には、「どちらさまですか」などと聞き返して、答えないことにしています。
<うちには人間の「主人」はいません。ついでに奴隷もいません。ネコはいますが、ご存知でしょうが、ペットの家ネコが人間の「主人」なのです。でも、うちのネコはお話ししたくないようです>などと答えて、相手の方を不愉快にしても何の意味もありませんから。

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