相互に批判しつつ共同して進む2005年09月21日 22時57分26秒

 総選挙後、民主党が前原執行部となったこともあって、あちこちのブログで、社共共闘をはじめとする、反小泉=反新自由主義勢力の共同をめぐって議論が続いているようです。

 共産党について言えば、「70年代の遅くない時期に民主連合政府を」めざしていた頃から、「革新統一戦線」を綱領レベルで位置づけてきました。そして、現実に「革新自治体」が各地に実現したわけです。それは、当時の支配層にとっては脅威であったから、社共を分断する戦略がしかれ、社会党右派を先頭にそれについて乗せられ、共産党の側はそれを「右転落」と激しく批判して、共闘は消えていきます。

低成長に移行する中で「革新自治体」の政策が特に財政面問題があったし、冷戦中という国際環境のもとで、社共のスタンスは、ソ連など国家「社会主義」=全体主義に極めて甘く、政権をとれなくて国民にとってはよかった面の方が大きいかったでしょう。ただ、「革新自治体」の族生が自民党政権による歪んだ「社民主義」=弱者の一定の保護を実現させたことも事実です。

 当時の社共は、労組・平和運動・生協など、あらゆる面で、どちらがヘゲモニーを握るかという小権力闘争を繰り広げ、結局、国民大衆の運動を破壊していくという働きもしました。当時、新左翼のかなりの党派が「内ゲバ」という相互犯罪行為によって没落しましたが、社共もまたそれに近いことをやってきたというのは言い過ぎでしょうか。

同じ政党でないのだから、見解が異なることがおおければ、議論や相互批判をすることは当然です(同じ政党であっても内部で批判の自由がないのは民主主義政党として終わってますが)。しかし、より危険であり強大である共通の「敵」に対して、共同して対抗するということが、左翼はできません。

 私は、昔はそれを指導部の戦術の稚拙さとか、頭の固さによると考えていました。しかし、そうではなく、左翼の中にある「自分たちは正しい」という前衛主義、真理をつかんでいるという認識論、誤った分派・党派の害悪は絶対に許せないという攻撃性等々、構造的・思想的病理だと思っています。(その病理はもちろん、日本だけに見られるものではないのですが)

異なる意見の間で議論することは、民主主義には不可欠です。だからこそ、違う意見の人たちと、一致できる点を見いだし、それに依拠して共同をつくりだし、現実を変えていく力を創出していく・・・・、それが民主主義を本当に血肉化している政治集団ということでしょう。

 さて、現在、たしかに民主党の中には新自由主義や国家主義を信奉する人もいます。「左」の党派や人々が、それを指摘し、批判することは正しいし必要でしょう。しかし、民主党の中にも支持層にも、経済的に社民主義的で、政治的・社会的にはリベラル(反国家主義)の人々も確実に存在します。前原執行部でさえ、「弱者に対してはセイフティネットはる」と小泉自民党との違いを言っています。

 であるなら、現在の所与の条件の中で、民主党が小泉自民党の政策に引きずられたり加速さえしかねない側面を封じ込め、民主党の積極的(よりまし)な側面を拡大するような批判が求められているということでしょう。

 逆に、社民党や共産党の護憲や経済政策の観念性についても批判が「右」からも「左」からも、加えられる必要があるでしょう。そして、相互批判が国家主義・新自由主義の小泉自民党を倒していくという点での共同をつくり出していくような質がつくられていくことを望みたいし、そのような声を広げたいと願っています。

 私は、どの政党の支持者でもないので、勝手なことを言っているだけかもしれませんが・・・。

追記:「あまりにナイーブすぎる」と思われたら、それは100%甘受します。

コメント

_ アッテンボロー ― 2005年09月22日 08時51分29秒

 トラックバックを頂戴したので伺いました。新左翼における「内ゲバ」については元当該党派の人間として複雑な気持ちがありますが、強大な敵とどの様にして戦うのかという点で、一致できる限りは共に闘う隊列を形成したい物です。

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_ アッテンボロー - 2005年09月22日 10時13分51秒

 昨日は私の鬱病についての最も良き理解者である人と絶交状態になると言う出来事があ

_ 書評日記  パペッティア通信 - 2005年09月22日 19時10分40秒

統一戦線、人民戦線…左翼を結集して、小泉政権にも、民主党にもかわる第三勢力を。最近、こうした声がよく目立ちます。もともと、社・共両党の主張は、「護憲」「平和」「再分配」と極めて似ている。となると、誰ともなしに、統一戦線だの、人民戦線だの、といいはじめる...

_ 独り言ブツブツ - 2005年09月23日 17時16分01秒


menphisさんが、[相互に批判しつつ共同して進む]で述べておられるように、「同じ政党でないのだから」、相互に議論や批判があるのは当然です。/今の自民党は、「同じ政党であっても内部で批判の自由がないのは民主主義政党として終わってます」。/
無腸狷介さんが[永遠平和のために]で述べておられるように、「攻撃された初めで統一戦線を組んで闘うべき」ですが、妥協はする必要はない(してはならない)。


よじろうさんの[社共共闘についての覚え書き①]やこばこばさんの[明日から国会がはじまるぞ!ときたもんだ。 ]のコメント欄(共産党側の言い分)、アッテンボローさんの[共産党との大きな溝](新左翼市民運動がわの言い分、社民党もほぼ似たような意見ではないか?)、労働者Lさんの[共産党の選挙戦術について]、どれももっともだし、どれも正しいと思います。


見解の相違は議論の対象ですが、目前の大問題(小泉自民+前原民主の憲法改正共闘)のいま、共闘をしない理由にはならないと思います。 米国と北朝鮮でも合意文書が作れるのだから・・・(中国の役目を誰がするか?)


共闘の合意事項は、憲法9条[戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認]と25条[生存権、国の生存権保障義務]を死守することであることは自明なので、「不合意点」を、合意文書に明示し、ここの意見の相違と批判は自由、内ゲバ(内部抗争)ではない、とすること、が大事だと思います。


(新社会党のたかがい千代子さん、山下けいきさんにご参考にトラックバックさせていただきました。)