「護憲」か「平和主義的改憲」か2005年09月24日 23時42分42秒

 前の記事へのトラックバックを頂いた記事のうち、半共分子さんは、

「不合意点」を、合意文書に明示し、ここの意見の相違と批 判 は自由、内ゲバ(内部抗争)ではない、とすること、が大事 だ

と書かれています。http://blog.so-net.ne.jp/hankio/2005-09-23

 また、春秋子さんは、

そもそも統一戦線、人民戦線なんてのは、「小さい左」が「大 きな右」をのっとるための運動論

であるとされています。 http://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200509210000/

 ということで、民主党(左派・リベラル派)と社民党そして共産党が、容易に共同行動をとることの困難なり不可能性があり、それをどう評価するかについての見方もいろいろと分岐しているということでしょう。

 私は、「社民党や共産党の護憲や経済政策の観念性についても批判が「右」からも「左」からも、加えられる必要があるでしょう」と書きましたが、たとえば右翼・保守勢力から提起されている国家主義的改憲に反対する立場であっても、「護憲」(のみ)を主張する立場と、「立憲主義的・平和主義的改憲」を主張(容認)する立場との相違があります。

 民主党の「論憲」は後者ですが、しかしその具体的な方向が定まっているわけではありません。総選挙でのマニフェストでは、立憲主義や3つの基本原則の深化・発展を抽象的に掲げただけで、やや具体的なのは「女性の皇位継承」くらいでした。民主党内で言われているのも、国連の集団的安全保障に参加、専守防衛に徹し「制約された自衛権」という十分に明確でない方向に過ぎません。(簡単に党内がまとまるでしょうか?)

 では、「護憲」勢力の方はどうでしょうか。社民党は与党時代に転換して現憲法下での自衛隊を「合憲」としましたが、現在は、新ガイドライン体制・テロ特措法等の下での自衛隊の現実は実質的に憲法をはみ出しているとして、非武装中立の理想に向かって軍縮を強調しています。

 共産党は、自衛隊は「違憲」であると、憲法発足時の政府解釈の地点にいるといえるでしょう(その時点で自衛の放棄を批判したのは当の共産党ですが)。しかし、自衛隊の解消に向かうけれど、あるうちは侵略があれば自衛隊を活用すると言っています。

 さて、国民の大多数が自衛隊の存在を肯定しているのが現実です。それは、侵略に対する防衛には一定の軍事力が必要であるという常識的直感に基づいています。それに対して、侵略してくる国など現実にはないとか、現代では軍事力では防衛できないなどという「説得」がなされることもありますが、そのような議論は無力ではないでしょうか。今すぐ侵略される恐れがあるから国民は自衛隊を肯定しているわけではないからです。

 ということで、自衛隊の装備・編成や現実の日米安保体制下の役割について問題が山積しているとはいえ、「必要最小限度の防衛力」としての自衛隊(という理念)を否定した上での、「護憲論」は非常に観念的で危ういと思います。まあ今の「護憲」は、自衛隊の存在を問わないとなっているとは思うのですが、だからこそ落とし穴があるような気がします。

 「9条改憲」=「戦争のできる国にすること」という批判は、戦前に郷愁を感じるナショナリズムの立場からの改憲論や、米戦略に従属していくという「集団的自衛権」推進の改憲論に対しては、有効な批判であるとは思います。しかし、防衛力の制約を含む自衛権行使の明確化や集団安全保障体制への参加という角度からの改憲論もいっしょくたにして、改憲=悪という立場に還元する視点は、議論を政治主義的に歪めるし、多くの国民からも共感を得ないでしょう。

 以上は簡単なスケッチに過ぎず、憲法に関しては、多様で豊富な論点があります。戦後民主主義を発展させる立場であっても見解の相違は多様ですが、批判・議論は、あくまで理性的に丁寧に行っていく必要があると思います。