STOP THE KOIZUMI をめぐって[メモ]2005年10月12日 22時00分04秒

“STOP KOIZUMI THE DECTATOR”とか。まぁ、冠詞に弱い日 本人にありがちなミスだけど外人さんがこのバナーを見て失笑 してるのが目に浮かぶ。( ´,_ゝ`)

前の記事に上のような一文を含むコメントいただいたので、以下のコメントを書いてしまいました。

世に倦む日日さんのサイトで説明されているように、昔のストッ プ・ザ・サトウから着想を得ていて、さんざんその時も・・・「こ」 のようなことを言う人がいたけれど、結果的には美濃部氏は 圧倒的支持を得たわけです。アルファベットを使った日本語な んですよ。漢語を摂取した古来から日本語はそのように柔軟性 (いい加減性)をもっていたので、きわめて伝統的なんですね。 エヘヘ(失笑)。

ちょっと極論ですが、言葉は重要だけれども、そこに込められた言葉の本質的な意味やメッセージに対して、議論しようとすることが大切だと思います。

thessalonikeさんが「改革」をどうするのか - 政治言語としての「改革」の揚棄で書かれていることも、「改革」という言葉をめぐって大切なことを提起されています。

「改革」がシンボル操作として機能しているレベルと、現社会の何をどう「改革」しようとしているのかという本質論のレベルとの関連という問題として、私は受けとめました。

thessalonikeさんは『資本論』と対比して、「DAS小泉構造改革」(論)が書かれなければならないとも言われています。『資本論』の著者は、資本が生産過程を包摂し貨幣が資本に転化する結果、資本とは資本・賃労働関係という社会関係であるということを剔抉しました。まさに目の前の現象形態では「お金が増える」(自己増殖する価値)が、そのカテゴリーの背後に何を秘めて成立しているかを解き明かしたわけです。 (それだけでは不十分なことも21世紀の我々は知っているのだと思いますが、それは置いて)

ここ何年もメディアと支配層が唱道していきた「改革」は、常に古い支配体制のスクラップする部分を標的ににして、「国民のための改革」を偽装するものでした。それは、「維新」「革命」という言葉をめぐってもそうだったように、「改革」という言葉をめぐる争奪戦を必然的に引き起こします。

そこで、問われているのは何が「国民のための改革」なのかというクリアーな基準を提起できるかです。たとえば今は説得力が限りなく低減したけれど、「革命とは社会構成体移行である」というような。

そのような意味で、結局、「構造改革」等の内実が何かを提示できるかどうか、そのための基準をきちんともてるかどうかでしょう。民主党前原連や「リベラル」っぽいメディアがすぐに「改革」競争にはまるのは、そのような理論的視座をもっていないからです。(それは別に難しいことではないはずなのですが)。

そして、「構造改革とは新自由主義的改革・国家主義的改革である」という視点の明確化は、ではどのような改革が必要なのかという点の明確化に直結するでしょう。「我々のめざす方向(改革)はこのような社会に向かうことだ」という内容をはっきりさせるということです。そのような意味での「改革」論は、グローバリゼーションとの関係から「うちの街のシャッターが降りた商店街の現状」との関係まで、もっともっと論じられなければならないでしょう。また、それをあらゆる表現形態で打ち出していく必要があるでしょう。

たとえば、STOP THE KOIZUMIならぬSTOP BUSHの表現活動では、このようなプロジェクトとかこういうサイト があって、すごいと思いました。

アナロジーの域を超えて考えると、「改革」とは、「資本」のように学的解剖をしなければならないような、自己運動する範疇とはいえないのだから、我々庶民でも「B層」の喜びを甘受するのでなければ、十分にその正体暴露の情報戦に参加可能でしょう。そして、「社会民主主義」なり「連帯と公共性」なりという方向性をもった視座を共有できるかどうかが求められているのではないでしょうか。

コメント

_ ハイバラ ― 2006年01月01日 08時59分08秒

「日本人は冠詞に弱い」なんて考え方をするのは日本人ばっかりだし、外人さんは失笑するより前に(それか同時に)「冠詞がついてる意味」を考えると思うけど。
まず「あってるかどうか」を考えるのは、それが母語じゃないからだと思う。世代ごとに違う日本語を「あってる」「まちがってる」と判断する日本人は国内では暮らしづらそうだし。
STOP THE KOIZUMIは言葉が意思表示じゃなくて道具に使われているいい例をみせてくれた。
まあ今は、「神も(政治の)道具」みたいだけど・・。

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_ 世に倦む日日 - 2005年10月14日 22時43分10秒

改革ファシズムが国民を説得する強力な根拠が、「国と地方あわせて770兆円の借金がある」という例の言説である。言説と言うより国家財政上の事実と言うべきかも知れない。人はこの問題を新自由主義者に突き付けられると、蛇に睨まれた蛙のように萎縮してホールドアップの状態になり、そして新自由主義者の求めるがままに年金給付の権利も差し出し、保険医療の権利も差し出し、サラリーマン増税にも消費税増税にも首を縦に振ってしまう。まるで強盗に銃を突きつけられてカネを出せと脅迫されている被害者と同じだ。国家に天文学的な借金があるから国民はそれを返済しなければいけない。そのためには増税も社会保障の予算削減もやむを得な...

_ 翻訳blog - 2006年04月16日 12時08分08秒

 theについて(1)で、STOP THE KOIZUMIはおかしいだろうと書い