「古典」で思うこと2005年10月22日 23時35分07秒

アッテンボローさんのブログの「共産党が古典を読まないわけ」で、「マルクス・エンゲルス・レーニンは日本共産党にとって都合の悪いことを言っている」ので、「宮本顕二、不破哲三といった共産党指導者が古典を読んで解釈した共産党の文献を通じて」学ぶだけということを書かれています。

それに対して、別のブログ三四郎日記では「【読書】古典学習のすすめ」 で不破哲三氏の『古典学習のすすめ』を引いて指摘されています。 「やはり多くの人が古典にじかにぶつかって、結論的な命題だけでなく、そこにいたる精神やその議論をつらぬいている方法をつかむ努力をしてほしい、と思います」と不破氏は言っているそうです。

不破氏が言いたいのは<科学的社会主義の原理を学ぶのは重要で、そのためには古典をなるべく学んでほしい。しかし、その原理を当時の社会状況に適用してマルクス・レーニンらが主張した命題を機械的に現代に適用するような、教条主義は、マルクスやレーニンの精神とは異なり、我々とも無縁である。科学的社会主義の原理を、現代日本の状況に関する正しい科学的社会主義的な研究に基づいて適用し発展させたのが、正しい日本共産党綱領路線である>ということでしょう。

ですから、当然に、暴力革命論(唯一論)や革命的祖国敗北主義やブルジョワ国家機構徹底粉砕論という(マルクスや)レーニンの主要命題を、修正する(科学的に現代に適用する!)共産党中央について、(より原理主義的な)新左翼の人々が「裏切り・改竄」と怒るのはもっともなことでしょう。

しかし、私が最も問題だと思うことは、「党」が正しい教義に基づいて正しい方針・政策を常に体現しているという、思考方式そのものです。これらの人々の「学習」とは常に正しい教義なり方針なりを学んでいくことです。そこには、マルクスがあるときアンケートでモットーとして答えた「すべてを疑え」という精神はみられません。

1970年代末に多元主義と前衛党をめぐって、不破氏と党員研究者の間で論争が行われたことありました。それをめぐって「学習会」が開かれましたが、そこでは、不破氏が書いた(といっても、5人の中央の研究員とか何とかに下書きを分担執筆させたと専従が誇らしげに言ってましたが)論文が絶対的に正しいと結論が決まっており、それに疑問をはさむことは許されないのです。個人的にも保養地近くの(今はあるかどうか知りませんが)学習会館いうところで、泊まり込んで「教育」を受けたことがありますが、今北朝鮮で行われているであろう「教育」「学習」と同質のものでした。

おそらく、共産党の中ではトロツキーもルクセンブルクもグラムシも(不破氏が構造改革派だったときは彼は読んだでしょうが)ほとんど読まれないし、蜜月時には絶賛された毛沢東も読まれることはないでしょう。そして、マルクス主義内の論争はもちろん、マルクスやレーニンが他の社会主義者と行った論争も、どちらが正しいかは「党」=神官が下した結論を受験勉強と同じく「学習」するだけでしょう。(共産党は公式にスターリンと生命を犠牲にして闘ったトロツキーを「名誉回復」させたのですかね?)

そもそも近代において、社会の問題を考えるときに、「正しい教義」(科学的社会主義なりマルクス・レーニン主義のような)が前提されて存在するという思考方式自体が、非常に危険でしょう。そういう思想をもった人々が国家なり人間集団なりの権力を握れば、必然的に民主主義が破壊されていくのは必至です。

その点で日本の新左翼諸党派も、共産党と大きく違うとは思えません。スターリン主義は、本来の科学的社会主義から逸脱したり、マルクス・レーニン主義を裏切ったから生まれたわけではないと思います。その点を曖昧にしていては、「左翼」の再生はないでしょう。

「古典」に話をもどすと、私的には、ローザの手紙や、グラムシの獄中書簡が好きです。でもマルクスやレーニンが「古典」なら、ウェーバーやケインズやハイエクの代表作だって、社会科学にとっては「古典」だろうと思っています。

コメント

_ アッテンボロー ― 2005年10月23日 16時39分48秒

 厳しいご意見ですね。確かに「我が党だけが唯一正しい」というのは現役当時と違い強くは思わなくなっていますね。でも現役時代はそうではなかった。古典については共産主義以外の古典も時折読んでいます。ローザ・ルクセンブルクも色々な本と並行して読んでいます。

_ memphis ― 2005年10月23日 19時04分24秒

アッテンボローさん、コメントありがとうございます。私は勝手なことをほざいているだけで恐縮です。このご時勢に言わなくてもと思いながらも、いや、とも思ってしまうんです・・・・。

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_ 三四郎日記 - 2005年12月02日 18時08分08秒

共産党が古典を読まないわけへの反論というか、ちょっとした指摘。どうでも良いことなんだけど、一応。不破哲三は『古典学習のすすめ』という本の中でこんな事を言っている。

「哲学についても、経済学についても、あるいは社会主義論にしても、いろいろな手引き書や入門書、いわば教科書的な書物は数多くあります。そういう本は、弁証法とはなにかとか、経済学の基本にはどんな命題があるかなどを、大づかみに勉強しようというときには、問題が要領よくつかめるし、なかなか便利なものです。ただ、科学的社会主義の理解を手引き書で勉強するのと、古典で勉強することとのあいだには、たいへんな大きな違いがあります。

・・・教科書的な書物は、マルクス、エンゲルス、レーニンが明らかにした命題をきちんと整理してしめしてくれるという点ではわかりやすいところがあります。しかし、その精神をつかむうえでは、やはり足りないのです。古典の学習には、なかなか難しいところがありますが、やはり多くの人が古典にじかにぶつかって、結論的な命題だけでなく、そこにいたる精神やその議論をつらぬいている方法をつかむ努力をしてほしい、と思います。」
(不破哲三『古典学習のすすめ』新日本出版社、1996年。10-12頁より)

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