自民党改憲案の印象2005年10月29日 22時50分07秒

自民党の改憲案。夏に出た案よりはたしかに「後退」したように見えますね。宮沢喜一氏は「予想したよりはるかに穏やかなものができた」と評価したそうですが(毎日)、そうでしょうか。もちろん、改憲居士中曽根氏が「不満」というのはよくわかりますが。

朝日新聞の社説では、

結党から50年でたどり着いた改憲の姿としては中身に乏しい

って言うけれど、本当にそうでしょうか。基本的にはこれまでの方向が踏襲されており、さらに曖昧な表現の中で「やりたいことはやれる」ということではないでしょうか。

前文にわざわざ「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」などと書かれています。

「愛国心」をオブラートに包んでいるつもりでしょうが、「愛情」という個人の内面から発せられる本源的な感情を云々する無神経さを感じます。

また、天皇の行う国事行為に、ちゃっかり首相の解散権に基づく衆議院の解散を入れているわけですが、「内閣の助言と承認に基づく」ことも消えているようです。

9条1項は、そのままでも、「自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」って言うんだから、「何でもアリ」もアリってことなんですね。

集団的自衛権についても集団的安全保障についても、まったく議論を避け曖昧な条文にするのだから、恣意的にいくらでも自衛軍が活動できてしまう、恐ろしいものです。

そして、前文と対応するのだけれども、従来の改憲案通り、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」と、立憲主義の本義を忘れて、国民に自覚しろと説教を垂れる、本当に「自覚」を忘れた政治家が書くに相応しい「人権制限志向」が随所にあふれているわけです。

自由や権利には責任や義務が伴うなんて、一般的には当然のことを何で、国家権力を縛ることが目的である憲法に書けと権力者(政治集団)から私たちが言われなければならないのでしょうか。

弱肉強食の新自由主義や、小泉劇場に見られるポピュリズムによって「公の秩序」の破壊を推進している(少なくとも反対していない)人々がよく言うよ!

その他に「宗教的活動」についてなどいろいろあるのですが、ともかく、自由民主主義(リベラル・デモクラシー)を浸食することによって、公共的なものを再建できると錯誤している国家主義者の改憲案としか思えません。

今後、さらに改憲論は活発化するでしょう。1)必要最小限度の武装防衛力の保持と核廃絶・軍縮活動の明記、2)天皇に最大限の基本的人権(退位と皇族離脱権を含む)を保障したうえで、天皇の国事行為を一切なくす(共和制への過渡的)象徴天皇への純化、3)国会の発議による重要事項国民投票制の導入とい方向での改憲はどうでしょうか。

ともかく、憲法と改憲について、市民がもっと議論をしていく必要を感じます。特に「天皇制」廃止の合意は今すぐは困難でしょうが、単に女系の世襲についてだけではなく、幅広い議論をすべきでしょう。

ということで、改憲について触れている記事のあるブログにTBをおくらせていただきました。