我が国を形成する「民草」の一員として(3)2005年11月22日 23時30分15秒

全面展開する余裕はないのですが、<天皇位の継承>をめぐって論議がさかんになっています。

私は、自由民主主義が確保される限りにおいて象徴天皇制には反対ではありません。かといって「天皇教」徒でもありません。

小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」の議論について、男系主義の方達の反対論が強まっていますが、この「有識者会議」は天皇制を積極的に維持することを目的とすることが根底にあることは明らかです。

私は、<女系を認めることや「男女平等」を皇室に持ち込むことは皇室の価値を貶める>というような議論にまったく説得力を感じません。

一つには<二千六百六十有余年の伝統>というような、価値観を有していないからでしょう。もちろん「天皇陛下万歳」を叫び、皇室を尊崇する人々の価値観を、私は尊重したいと思いますが、それを日本国民全体に押し付けることには賛成できません。

文化観・伝統観というような諸個人の価値観と、一定の距離をおくのがリベラル・デモクラシーに基づく国家であると理解しているからです。それは<「日本の(政治的)伝統」と天皇・皇室の存在とは、特定の歴史段階に応じて、関係していた>という認識と矛盾しないと考えています。

論壇などでも復古的な議論が目につく反面、戦後民主主義を発展させる立場での議論は皆無ではありませんが目立ちません。かつて「天皇制」という概念を創出した左翼が、現在ではまったく理論的に衰退しているのは仕方ないとしても、リベラルな保守派・進歩派がなぜか腰が引けているのは、彼らの限界を露呈しているといえるでしょう。

皇族が発言しているのに、知識人が沈黙しているというのでは、どうしようもありません。

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