排外的気分を蔓延させないために2005年12月01日 23時22分36秒

小学生を殺害した事案の被疑者が逮捕されました。メディアは例によって浅薄でセンセーショナルな報道をしています。、性犯罪の防止、子どもの安全のために、まだまだ考えなければならないこと、やらなければならないことは沢山あるはずです。犯罪を本当に憎み、死者を悼み、家族を思うなら、もう少し考えることがあるのではないか!

被疑者が日系ペルー人だったということも注目され、今日の朝日新聞の社説は「女児殺害 日系人逮捕という衝撃」

その一節にある「事件と短絡させて、各地でまじめに暮らしている日系人や外国人への偏見をふくらませてはなるまい」というのは、常識的なことではありますが、当然の指摘です。

しかし、現在の日本では、排外的気分を染み渡らせようとする政治家・学者・メディアが跋扈していることも事実です。そして、低思考力・低批判力が若者の一部に広がることも相俟って、近隣諸国を攻撃することが愛国者であるかのような低俗現象もあります。

そこで、思い出したのは、この一件です。

麻生外相に抗議文郵送 一民族発言でウタリ協会

 麻生太郎外相が総務相だった10月15日に「(日本は)一国家、一文明、一言語、一文化、一民族」と発言したことについて、アイヌ文化の保存・伝承に取り組む北海道ウタリ協会は31日、麻生外相と小泉純一郎首相に抗議文を郵送した。  抗議文は麻生外相の発言を「アイヌ民族の存在を否定するような不謹慎な発言に憤りを覚え、遺憾の念を禁じ得ない。>歴史的認識に欠けており、とうてい容認できない」と批判している。  麻生外相は15日の九州国立博物館(福岡県太宰府市)開館式典で「一民族」などと発言した。  1986年には、中曽根康弘首相(当時)が「日本は単一民族国家」と発言し、アイヌ民族が抗議している。

麻生氏がその後どのような対応をしたのか、私は確認していませんが、こういう人が外交を担当しているという政府をもっていることこそ、「国辱」的・「反日」的ではありませんか。

ともかく、日系人に「単純労働」も含めて滞在許可を付与する、今の入管制度にも目が向けられていくでしょうが、日本の社会・経済が外国人の存在を不可欠にしているのに、制度も意識も、それに見合うものになっていない点こそ、考えていかなければならないでしょう。人間を人間として扱うという当たり前のことができなければ、何も始まりません。

社民党首選、残念2005年12月03日 16時59分06秒

社民党首選 福島党首以外に届け出なく、無投票で再選

「格差社会を作り、憲法を変える自民党政治の大きな流れに対抗軸を持つのは社民党。『連帯の核』となり、一人でも多くの人と手をつなぎたい」。再選後に党本部で記者会見した福島氏は、護憲の党是を改めて強調すると同時に、2期目の課題として女性や若者など新たな支持層の拡大を掲げた。

前原民主党が期待できない今、政党レベルでは、社民党・共産党に頑張ってもらうしかない。そう思っているだけに、共産党の先の中央委総会にしても、今回の社民党の党首選にもがっかりしました。

「党首として福島みずほの抱負」を読んでも、政策としては支持できてるのですが、「がんばり続けよう」ということ以上に具体的な戦略がみえません。

福島さんの行動力やひたむきさは、わかるけれど、テレビでの論争でも、定型的な発言が多く、噛み合った切り返しが弱い。何より、現在の状況に合った「社会民主主義」像を理論的にもイメージ的にも打ち出してほしいのに、社民党の人たちを見ると、どうしても<古い>。辻元清美氏保坂展人氏が前面に出るべき時なのでは。

怒りを感じる事件2005年12月06日 17時44分07秒

「耐震強度偽装問題」、「小学生殺害事件」。いずれも強い怒りを感じる。

質は異なるが、それぞれ、「市民社会」の内部で、さまざまな立場での取り組みを必要としているし、それが始まっている。

欠陥マンションは本当に他人事ではない。私の近所にも該当建物がある。被害者が手を携え始めているようだが、専門家やNPOの支援と結びつき、現実を動かしていくことを願う。また、昨日の朝、近所の通学路では小学生の保護者たちが辻々に立って誘導していた。全国で自発的に人々が動き出している。

行政や国家の責任や施策も問われる。しかし、人々の連帯や支援も大きな役割をはたす。

「自己責任」を説いて弱肉強食・責任放棄を推進する、小泉らの新自由主義路線の嵐が吹き荒れていても、民衆の「思いやり」や連帯が死ぬことはない。

ところで、耐震強度偽装問題は、このブログの一連の記事によると、実は政治スキャンダルにもなりかねない問題のようだ。

おそまきながら「12.8」に思うこと2005年12月10日 23時00分00秒

今年の私の「12月8日」は慌ただしくて、もうすでに10日になってしまった。もともと暗い出来事の記念日ではあるけれど、日常に追われつつ、私の深部で深い思いがこみ上げる日だ。

 身辺においても社会全体でも、暗い影がおおう状況になっている。

 25年前のジョン・レノンが凶弾に倒れた日、たぶんいくつかの大学では立て看板が出て、それを悼んだように思う。もちろん、あの頃、世界と日本がこれほどの「悪い」状態になるとは思ってもいなかった。

 光州事件やレーガンの大統領就任は憂うべきことだったけれど、70年代に進んだ生活世界への民主化ともいうべき傾向の延長に世界は展開するだろうと、私は楽観していた。

 「イマジン」の世界が実現するなどという夢想は抱いていなかった。だが、ある人が私に「ジョン・レノンのような空想主義者は、科学的社会主義の真理の前には何の意味もない」と言ったのに対して、<ひからびた真理が歴史を動かすことなどない>、と強く反発を覚えたのを覚えている。

 その後、「科学的社会主義の真理」は崩壊し(今も私たちの眼前で崩壊をくり返し)、ジョンの魂は私(たち)を衝き動かす。

 しかし、私たちの足下の現実は暗い。ジョンが死んだ国の無法行為を私たちは止められない。その国の軍事戦略に引きずられて、私たちの住む国の憲法も自由と平和を押しつぶす方向で変えられかねない。

 「12月8日」は「開戦記念日」でもある。「大東亜戦争」が「太平洋戦争」段階に突入した記念日。

朝日新聞の社説は「開戦の日 真珠湾だけではない」で正当にも次のように言っている。

 真珠湾攻撃の印象があまりにも強烈だからだ ろう。太平洋戦争は64年前の今日、ハワイの真珠湾で口火が切られた、と思われている。
 しかし、実際に戦端が開かれたのはこの奇襲の1時間ほど前、英領のマレー半島に日本軍が上陸した時だ。
 米国の禁輸で石油調達の道を断たれた日本は、オランダ領インドネシアにある油田の確保を狙った。そこに至るための軍事行動であり、兵力では真珠湾攻撃をしのぐ大規模な作戦だった。
 戦火は太平洋の全域に広がり、インド洋にも及んだ。緒戦こそ勝利にわいたが、やがて日本は破局への道を転がり落ちていった。
 生きて帰ることを許されなかった特攻隊員。沖縄の地上戦に倒れ、広島や長崎の原爆で命を奪われた人々……。日中戦争以来の日本の犠牲者は、軍民合わせて約300万人とされる。
 しかし、無謀な戦争の現実を知らない無知な人々が、日本では増えてしまい、下卑たアジテーターの扇動にのって、大日本帝国体制や侵略戦争を賛美している現実に暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

 アジア・太平洋に散った幾万の皇軍兵士の死を蔑ろにし、米英帝国主義よりもさらに横暴を働いた罪科を頬被りする、夜郎自大が1930年代同様に横行しているのが日本の現状だ。以前も述べたが、そうした幼稚な自己肥大化の言動は、恥を知る日本の伝統に反するし日本のサムライ精神とも無縁だ。

 天皇をめぐる皇室典範改正問題の議論もさかんだが、昭和天皇が個人的には平和を好んだからといって、大日本帝国憲法体制における主権者・最高責任者が戦争責任から免責されるわけではない。「大東亜戦争」に対してまったく責任をとらず、国民がその責任を追及しないことを通して自らの責任をも不問に付し、今日まで及ぶ無責任の体系を温存させてきたことに、真剣に向き合うときではないか。

 戦後日本が選択したはずの自由民主主義とは、過去から未来への時間に及ぶ責任意識のうえにしか維持できない。

 Love&Peaceを歌うジョン・レノンの歌声は、私にとっては精神を静めてくれるものであり、無力な凡人としての個人が、つながって世界を生きる感覚を取り戻させてくれるものだ。だから自由な精神を取り戻させてくれる。私の中では、自由民主主義を支える主体性を支えてくれる歌声でもあるのだ。

 だから、私にとっては、2つの「12.8」はある意味で、重くつながっている。


ビラまきもできない全体主義社会!?2005年12月11日 17時53分59秒

世界のメディアが伝えたので、「警察官が発電所建設に反対する住民に発砲して死者多数」という事実を、<当局>は隠蔽できなくなって、渋々認め始めたようです。
 この当局とは、政治的一党独裁を続ける「マルクス・レーニン主義国家」の中国当局のこと。

 また、秘密収容所を全体主義時代の施設まで利用して設置し、「テロ容疑者」の拉致までしていた<当局>もあります。国連・EU諸国からの批判をかわすのに必死な、自由民主主義の祖国?アメリカ合衆国の当局の話。
 念のために先月の記事をのせておきます。

CIAが東欧に秘密収容所 アルカイダ容疑者拘束か
中央情報局(CIA)が国際テロ組織アルカイダの重要容疑者らを、東欧所在の旧共産政権下で使われた施設などにひそかに収容していると報じた。
 同紙は情報機関当局者らや外交筋の話として、収容所は約4年間でタイ、アフガニスタン、東欧など計8カ国に設置。このうちタイの施設は2003年に、キューバのグアンタナモ米海軍基地内にあった施設は04年にそれぞれ閉鎖された。
 収容所は、ホワイトハウスやCIA、司法省などの機密書類では「黒い場所」と呼ばれ、その存在はごく一部の米政府関係者や、施設が所在する国の首脳や情報機関トップしか知らないという。
    (共同通信) - 11月2日20時11分更新

 そして、わが日本では民主主義の根幹をなす「表現の自由」の弾圧について、警察・検察当局のみならず、司法までもがお墨付きを与えたという始末。立川反戦ビラ配り事件での東京高裁判決のことです。

(1)表現の自由が尊重されるとしても、他人の権利を侵害してよいことにはならない(2)居住者から抗議を受けながら同じ行為を繰り返した(3)管理者は対応策として禁止事項表示板を設置するなどしており、法で保護された利益の侵害の程度が軽微とは言えない

 このように判決は言っているようです。たしかに、それ自体を取り出せばもっともなことです。
 しかし、管理者とは航空自衛隊第1補給処立川支処長であり、国家機関の長です。
 そして、「居住者の抗議等を受けながらも、ビラをまき続けた」ということが、具体的に住民の総意に基づくもので、それを平然と無視するということであれば、たしかに大人げないし問題はあります。しかし、だからといって公権力を行使して、警察は一足飛びに逮捕し、しかも長期勾留をする必要があったででしょうか。
 本当に警察が住民の静穏な生活を守るという権利に基づく解決をしたいなら、逮捕・起訴に至る前に警察官の職務としてできることはあるはずです。実際、多くの警察官は相談や注意という形で、そのレベルの問題と取り組んでいるし、私たちもそれを求めているのです。

 何より、多様な意見の存在を尊重するというのが自由民主主義の根幹にあるべきです。その基本を見失ってはいけない。
 だから、いかがわしいものも含めた商業チラシの投函などの現状と比較しても、この種の事件は「政治弾圧」とみえてしまいます。このような小さな出来事の集積が、質的にさらに政治に関してものがいえない状況をつくり出せば、日本も全体主義体制へと進むという危険があることを見逃すべきではないでしょう。
 中国警察やCIAの行状も他人事でなくなるかもしれません。

 そして、この判決のメディアの扱いにも失望しています。私の見た中では、朝日新聞はバランスをとったつもりなのかもしれませんが、判決支持の識者の談話の方を多く載せていました。まともな扱いをしていたのは、東京新聞です。大新聞はダメですね。

 トラックバックをいただいたSOBAさんのブログ「雑談日記(徒然なるままに、。)」にあるように「定期購読を中止・ボイコットして翼賛・御用マスコミを震撼たらしめよ」という必要があるかもしれません。

 本来なら自由民主主義の堡塁となるべき司法もメディアもあてになりません。全体主義への防波堤になるのは、私たち無力な庶民の一人一人でしかないということでしょう。


「もしも全共闘と日本共産党が合流していたら」2005年12月12日 18時14分21秒

 歴史をふりかえって「もしも・・・だったら」と考えることは、その時の現実がはらむ豊かな可能性を洞察することに他ならない。そのことを改めてふと思ったのは、「世に倦む日日」で「ジョンが生きていたらイラク戦争は阻止できていた」の記事で、
2月15日はロンドンで百万人の大集会があり、この数字が世界の人々を驚かせた。日本ではイラク反戦は盛り上がらなかった。せめて十万人の動員はあってもよかった。
と書かれていたのを目にしたから。

 イラク戦争開戦前後、2003年の3月の集会について、意義はあったが、世界の他都市と比べて、あまりにも少ない参加者だった。自衛隊派遣の時もそうだ。
 宮台真司が言うように、<今どきデモや集会で吹き上がっても何の意味もない>という面は確かにある。
 しかし、やはり人が街に出て意思を表明する行動は、TPOが適切であれば現実を動かす力の一つになり得る。
 日本の集会の数が少ない原因について、「一騎当千のカリスマがいたからではないのか。人物がいなければ運動は絶対に成功しない」とthessalonikeさんは書いていて、(それはジョンレノンの魅力的な話になるのだが)、そういう面もあるだろう。が、私は、この日本の社会の政治・文化そのものの問題だと思う。人の意思形成や行動する力そのものを溶解させてしまった、この国の閉塞した状況そのものが根本的な原因なのだ。
 もし、より多くの人がイラク攻撃に疑問をもち、周りの人とそのことを自然に話し、ある人は自然に抗議の行動に移るという状況があれば、運動のカリスマは大衆が育て・創り出すこともできたかもしれない。

 そして、その閉塞した政治・文化状況をつくり出した責任の一端は、左派・革新派の政治エリートや指導者たちにもある。

 最近、通読した島泰三『安田講堂1968-1969』(中公新書)には、次のようなことが書かれていた。
ひとつの仮定をここに置く。もしも、東大闘争の最終局面、つまり1968年の12月の段階で、日本共産党と全共闘が合流していたとしたなら、事態はどうなっただろうか?と。あるいは、日大では右翼・体育会と日大全共闘が合流したとする。
・・・(略)・・・
 そこから、本格的な闘争が始まるはずだ。それがどうなるにしても、日本は新しい道を模索することになる。それは、是非とも必要な道だった。
 なぜ、それがよくても悪くても選択しなければならなかった道だと言うかといえば、それがなかったから、今の日本に至りついたのだと言えるからである。
 この本は重い書である。私は、全共闘の暴力的な闘争方法を基本的に評価できないのだが、この書では、闘争の必然性とその情念をよく理解できた。著書の誠実さが伝わってきた。

 引用文中の略した部分で「この仮定を語ると、当時青年だった現在老年初期の人々は、一様に『とんでもない』という顔をする」とあるが、おそらく政治運動や左翼について、ある程度の知識がある人なら、誰でも「とんでもない」と言うだろう。

 しかし、この歴史の「もしも」はあまりにナイーブすぎるからこそ、現在、何が求められているかを端的に示していると、私は思う。
 もしも「日本共産党と全共闘が合流していたとしたなら」が可能になっていたと仮定すると、それは東大闘争だけの話だけではなく、「左翼」の自己改革ができていたということだろう。
 自己改革とは、日本共産党がスターリン主義を克服し、運動を引き回し党勢拡大の手段にすることをしないということを意味する。社会党も、新左翼諸党派も同様である。全共闘の暴力主義の傾向も同根だと思うので、やはり克服されるということだ。
 いずれにせよ、その「もしも」が成立するような状況ができていれば、その後の連合赤軍事件や公労協ストの敗北やオイル・ショックがあったにせよ、「自分たちだけがいつも正しい」という独善に基づく、労働組合やさまざま分野の運動の分裂、弱体化をかなり避けることができたろう。「内ゲバ」や組合選挙での泥仕合から、若者が政治に接近できないという傾向ももう少し何とかなったかもしれない。

 日本共産党内でも、大学闘争を牽引した「新日和見主義者」たちの粛清も80年代の平和運動における党員追放もなかっただろうし、中央指導者に忠誠を誓うものしか生き残れない中世的な党運営もなくなって、複数の潮流が存在するようになったであろう。
 社会党・共産党・新左翼の断絶ではなく、論争は継続されたはずだし、全体主義的な社会主義を克服する道も、グローバリゼーションに対抗する方策の追究も進んだはずだ。少なくとも、68年世代が国会にもっと進出し、活躍していただろう。

 というわけで、そうなっていたらなら、イラク戦争や自衛隊派遣反対の集会には50万人集まっていたかもしれないし、北朝鮮拉致被害者を支援する集会には「革新」党派が先頭にたって100万人集まっていたかもしれない。

 そうならなかったのは、左翼・「革新」勢力のどうしようもない保守性、党派主義、「自分たちは正しい」という独善が大きいということではないか。「全共闘と日本共産党が合流」できず徹底的に憎悪し合って終わったように。そして、その根底には、言葉によって相手の納得を得るという民主主義的な姿勢の欠如=<物理的な暴力や多数決によって「正しさ」を押し付けようという全体主義>がある。

 左翼・「革新」の今なお残るその傾向を何とかしなれば、憲法改悪や「改革ファシズム」を阻止することもできないのではないか。「決定史観」に立たずに歴史の豊かな可能性から学ぶということは、それを現在と未来に生かすということだろう。


年末に(嫌中・嫌韓・嫌米・嫌日の虚妄)2005年12月25日 20時06分08秒

 昔は年末になると、その年を振り返り、今後の行く末について考えることが多かった。少なくとも、2000年代に入ったばかりの頃までは、そのようなゆとりがあった。

 しかし今、なぜかそのようなゆとりがない。単に時間が無いという意味ではなく、自分の周囲の小状況にしても、社会的な大状況にしても、立ち止まってじっくり考えようとすることが難しいほど、危機的でせっぱ詰まっているのだ。

 少数の上層の人々はバブルの再現を思わせる、偏った景気回復に酔っているけれど、その矛盾を押し付けられる側が、それを押し返そうと現実の生活の中で立ち向かうためには、絶望的な努力を必要とする。それは、政治の状況でも同じだ。

 新自由主義や国家主義への反転攻勢を行っていくためには、一刻の猶予も許されないのに、政治や社会運動の「指導部」の人々は、固定化されパターン化された枠組みの中で「引きこもっている」かのようである。日々の生活をおくるだけで精一杯の庶民をまるで俯瞰しているだけのようにさえ思ってしまう(そうではない人々もいることを知ってはいるのだが!)。

 と、愚痴めいたものいいになってしまったが、何かに期待しても仕方ない。庶民の一人一人ができるこをするしかないのだ。
 耐震偽装問題であまりに露骨に隠蔽を行おうとした自由民主党・公明党の指導部の連中も、欺瞞的にではあるが、ちょっとは「真相解明」のポーズをとってみせたように、庶民の行動を彼らは恐怖していることは確かだ。

 とりあえず新自由主義改革とナショナリズムをメディアがさかんにまき散らしている中で、それに影響をされる人々の意識の中にも、それらを克服していく芽がまったく摘まれているわけではないずなだ。

 といっても、それを現実にしてくことは疲れる。
 今日もこんなニュースがあって、イヤな気分だ。
内閣府が二十四日発表した「外交に関する世論調査」によると、中国に「親しみを感じる」と回答した人は32・4%と前年より5・2ポイントも減少、この質問を始めた昭和五十三年以降、最低となった。逆に「親しみを感じない」とした人は63・4%(前年比5・2ポイント増)と過去最高になった。また、日中関係を「良好と思う」と感じている人は19・7%(同8・4ポイント減)と10%台に転落。「良好と思わない」は71・2%(10・2ポイント増)にものぼった。
   「政冷経熱」と言われる日中関係だが、四月の反日暴動や小泉純一郎首相の靖国神社参拝に反発する中国の姿に、日本国民の間で「嫌中意識」が広がっていることが裏付けられた。
 一方、韓国に対しては「親しみを感じる」とした人は51・1%と過半数を占めたが、四年ぶりに減少。「親しみを感じない」と回答した人は44・3%と前年より5・1ポイント増えた。
 日韓関係については「良好と思わない」と回答した人は50・9%と前年から16・0ポイントもはねあがり、「良好と思う」(39・6%)を四年ぶりに逆転した。  首相の靖国参拝や竹島問題への韓国政府のかたくなな対応が影響したとみられ、「冬のソナタ」など韓国ドラマなどによる「韓流ブーム」も陰りが出てきたようだ。

 「嫌中」・「嫌韓」という下劣な言葉を創造し流通させているメディアにとっては、さぞ誇らしい結果であろう。
 そもそも「外交に関する世論調査」が、国家や地域単位(たとえば「中東諸国」)に親しみを感じるかなどを聞くことに意味があるのだろうか。
 個々人の個性や、国家に内包される諸文化を捨象して、国家単位で「親しみ」なるものを実体化させるのは、イデオロギー操作ではないか。
 日本国民に「日本国に親しみを感じるか」を聞いてみることを考えれば、それが何を意味するかはわかるというものだ。
 「親しみを感じる」「感じない」の対象が、中国や韓国の現政権の外交政策であり、それについて聞くというのならまだ意味があるかもしれない(言葉の用法としておかしいが)。
 それをメディアがさらに「嫌中」「嫌韓」などと、露骨なレッテル張りをして悦に入っているのだから、余計に始末が悪い。
 「嫌米」だとか「嫌日」だとかいうのも同じく下劣で虚妄だ。こうした発想は、結局わたしたち庶民を国家の道具に絡め取ろうとするものにほかならない。

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追記:「抗日」や「反米」がその国の政府による不当な侵略や抑圧との対抗で用いられたような使用を否定しているわけではありません。