おそまきながら「12.8」に思うこと2005年12月10日 23時00分00秒

今年の私の「12月8日」は慌ただしくて、もうすでに10日になってしまった。もともと暗い出来事の記念日ではあるけれど、日常に追われつつ、私の深部で深い思いがこみ上げる日だ。

 身辺においても社会全体でも、暗い影がおおう状況になっている。

 25年前のジョン・レノンが凶弾に倒れた日、たぶんいくつかの大学では立て看板が出て、それを悼んだように思う。もちろん、あの頃、世界と日本がこれほどの「悪い」状態になるとは思ってもいなかった。

 光州事件やレーガンの大統領就任は憂うべきことだったけれど、70年代に進んだ生活世界への民主化ともいうべき傾向の延長に世界は展開するだろうと、私は楽観していた。

 「イマジン」の世界が実現するなどという夢想は抱いていなかった。だが、ある人が私に「ジョン・レノンのような空想主義者は、科学的社会主義の真理の前には何の意味もない」と言ったのに対して、<ひからびた真理が歴史を動かすことなどない>、と強く反発を覚えたのを覚えている。

 その後、「科学的社会主義の真理」は崩壊し(今も私たちの眼前で崩壊をくり返し)、ジョンの魂は私(たち)を衝き動かす。

 しかし、私たちの足下の現実は暗い。ジョンが死んだ国の無法行為を私たちは止められない。その国の軍事戦略に引きずられて、私たちの住む国の憲法も自由と平和を押しつぶす方向で変えられかねない。

 「12月8日」は「開戦記念日」でもある。「大東亜戦争」が「太平洋戦争」段階に突入した記念日。

朝日新聞の社説は「開戦の日 真珠湾だけではない」で正当にも次のように言っている。

 真珠湾攻撃の印象があまりにも強烈だからだ ろう。太平洋戦争は64年前の今日、ハワイの真珠湾で口火が切られた、と思われている。
 しかし、実際に戦端が開かれたのはこの奇襲の1時間ほど前、英領のマレー半島に日本軍が上陸した時だ。
 米国の禁輸で石油調達の道を断たれた日本は、オランダ領インドネシアにある油田の確保を狙った。そこに至るための軍事行動であり、兵力では真珠湾攻撃をしのぐ大規模な作戦だった。
 戦火は太平洋の全域に広がり、インド洋にも及んだ。緒戦こそ勝利にわいたが、やがて日本は破局への道を転がり落ちていった。
 生きて帰ることを許されなかった特攻隊員。沖縄の地上戦に倒れ、広島や長崎の原爆で命を奪われた人々……。日中戦争以来の日本の犠牲者は、軍民合わせて約300万人とされる。
 しかし、無謀な戦争の現実を知らない無知な人々が、日本では増えてしまい、下卑たアジテーターの扇動にのって、大日本帝国体制や侵略戦争を賛美している現実に暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

 アジア・太平洋に散った幾万の皇軍兵士の死を蔑ろにし、米英帝国主義よりもさらに横暴を働いた罪科を頬被りする、夜郎自大が1930年代同様に横行しているのが日本の現状だ。以前も述べたが、そうした幼稚な自己肥大化の言動は、恥を知る日本の伝統に反するし日本のサムライ精神とも無縁だ。

 天皇をめぐる皇室典範改正問題の議論もさかんだが、昭和天皇が個人的には平和を好んだからといって、大日本帝国憲法体制における主権者・最高責任者が戦争責任から免責されるわけではない。「大東亜戦争」に対してまったく責任をとらず、国民がその責任を追及しないことを通して自らの責任をも不問に付し、今日まで及ぶ無責任の体系を温存させてきたことに、真剣に向き合うときではないか。

 戦後日本が選択したはずの自由民主主義とは、過去から未来への時間に及ぶ責任意識のうえにしか維持できない。

 Love&Peaceを歌うジョン・レノンの歌声は、私にとっては精神を静めてくれるものであり、無力な凡人としての個人が、つながって世界を生きる感覚を取り戻させてくれるものだ。だから自由な精神を取り戻させてくれる。私の中では、自由民主主義を支える主体性を支えてくれる歌声でもあるのだ。

 だから、私にとっては、2つの「12.8」はある意味で、重くつながっている。