元旦と二日を過ごして2006年01月02日 23時35分39秒

謹賀新年。

新年のめでたさもテレビを見ると苦さにかわる。
といっても、テレビを見ていないと、社会の諸相の一端がわからないのが現代なのだから、つまり、人の話について行けないのはまずいので、少しはチェックしておくために、見てしまいます。

大宅壮一先生が憂慮した事態が極限までいっているのですから、その点を今さらどうこう言っても仕方ありません。とりあえず、「お笑い」というのは、私にとっては「ぶっこわされた笑い」でしかないので腐った食べ物を口にするのと同じなのですが。(「ぶっこわされた○○党」と同じと思えば許せます)

そして、車で出かけると元旦も、多くの大規模店は初売りをやっており、ファーストフードはどこも盛況。多くの人は普段と変わらぬ生活をしている(させられている)ようです。夜の高速道路では凄まじい数の宅配業者のトラックが走っており、ファミレスではまったくルーティン通りのサービスを受け、何だかアルバイトの女子高生に「新年おめでとう」と言いそうになってしまって慌てて口を噤みました。
寺社の初詣で並んでいる人々も結構目立つのですが、何だかアミューズメントパークの順番待ちしているのと変わらぬ風情です。



人と人との関係も、労働や消費の仕方も、そしてそれらを拘束していたケジメも、すべて従来のあり方が溶解していくことがあらためて実感できる<新年>です。

賀するに足ものとは到底思えないのですが、しかし、どんなに哀しくてもニコニコして「謹賀新年」と叫びましょう。

人気blogランキングへ

靖国参拝はどのような意味で「信教の自由の問題」なのか2006年01月13日 23時14分29秒

 朝の身支度をしながら、ほんの5秒程度テレビ画面で、自由民主党の武部氏が、<靖国神社参拝は心の問題で政治問題化させるべきでない。わかりやすく言えば「信教の自由」の問題だ>というようなことを言っていた。

 相変わらずデマゴギッシュというか、「盗っ人猛々しい」というか、ケジメが微塵もない言いたい放題。
 しかし、この男は「マジ」で言っているようなのだから、始末が悪い。

 「心の問題」というお得意の詭弁を弄し始めたのは、武部氏が忠勤に励む御仁だけれど、ヒトラー・ゲッペルスばりに、程度の低いすり替えを何回も何回もメディアを垂れ流されているうちに、新聞の投書欄にも<靖国で戦没者の御霊に祈り、平和を祈念する心を何で問題にするのか>などという声が増えつつある。まあ、狙い通りというところだ。

 しかし、武部氏よ、信教の自由・精神の自由という人権を「冒涜」するのはやめてくれ!
 問題になっているのは、
 ①国民の「信教の自由」を保障し「政教分離」原則を貫く責任を有する内閣総理大臣が、靖国神社という特定の神社を「公的に」あるいは「政治的行為として」参拝すること
 ②内閣総理大臣が、A級戦犯を祀り過去の侵略戦争を美化する特定の神社を同様に参拝すること
 ③内閣総理大臣が中国・韓国の政府や東アジア諸国の人々が非難し、すでに政治的・外交的にイシューとなっている、特殊な神社への参拝を続けること
 なのである。

 小泉純一郎が私的に勝手に「心の問題」として参拝したいなら、総裁選の「公約」なんぞにせず、ひっそりと勝手に参拝すればよい。それはもちろん「信教の自由」であり、私的に神社なり仏閣なりに参拝するのと同レベルといえるかもしれない。(極端な例だが)統一協会や法の華三法行やアレフの宗教施設を参拝するのと同様に、仰るとおり「心の問題」であり「自由」である。しかし、それがメディアに報道され、国民に批判され、その意味で「政治問題化」されないなどということがあり得るとしたら、メディアも批判も議論もいっさいが抑圧された政治空間でしか起こりようがない。山拓氏が「総裁選の争点は世論がつくる」と言ったそうだが、政治家として最低限不可欠の認識だろう。

 だいたい、ナショナリズムを育みながら、遺族会や神道内に根強い右翼潮流を操作的に利用するために、政治問題化させているのは小泉純一郎とその取り巻き連中ではないか。
 靖国神社と密接に連なった国家神道に抑圧された宗教者の「心の問題」や遺族を靖国神社等に合祀されることを拒否したキリスト者の「信教の自由」を、武部氏はどれだけ真剣に考えたことがあるのだろうか。

人気blogランキングへ

賎民資本主義の哀れさ2006年01月16日 22時38分19秒

ライブドア本社や堀江貴文社長の自宅も東京地検が強制捜査を行ったという。以前から指摘されていた、ルール違反について放置はできないということだろうが、なぜ今か。

朝、ヒューザーの小嶋進社長がメディアにしゃしゃり出てきて、弁解と保身を「被害者救済」という美辞で厚化粧したようなことを言っていた。時には涙ぐんだりする、このオヤジの田舎芝居も、私たちの社会は見合っているということかもしれない。
しかし、このタイミングは、いかにもプロットがありそうに見えてしまう。

いずれにせよ、掘江・小嶋氏たちの姿は、まさに現代賎民資本主義のキャラクターだ。堀江貴文氏もこの間、株主総会で涙を見せていたたが、そのあまりのチープさは、テレビCMでの「カイテン、カイテン」と同様に、見ている方の憐憫の涙を誘う。

<体制>にとってどこまで切除の対象になり、本当の哀れな顛末への至るのかどうかはわからない。<小泉的なもの>がこのような賎民資本主義を利用してきたことのつけは、相応に払ってもらわなければならない。

人気blogランキングへ

NHKのニュースの偏向ぶり2006年01月17日 22時57分07秒

時間がないので、あまり展開できませんが、備忘メモとして書いておきます。

私は夜のNHK9時のニュースを見ましたが、今日の衆院国土交通委員会での証人喚問について、民主党議員が安倍晋三官房長官秘書の面会や国交省へのコンタクトなどについて、質したことはいっさい報じられていませんでした。

いくらなんでもひどいです。ヒューザーと伊藤公介との関係も、あまりに多くの事実が出ているのに、NHKはこれまでもほとんど触れていないように思います。

この問題では、小泉首相周辺も隠蔽に動いているとも言われますが、NHKニュースを見て、何だか下手なプロットを書いている連中の手口が透けて見えてくる感じがしました。

人気blogランキングへ

堀江貴文逮捕でもNHKニュースに偏向ないか2006年01月23日 21時30分42秒

堀江貴文ら4名が逮捕されたニュースが一斉に流された。NHKが8時から番組を変えて報道したのはよいのだけれど、何度も掘江の足跡を振り返る絵をくり返す。速報ではあるが、予想されていた事態に対して、何が問題なのかを掘り下げる視点がない。というよりも、視点をわざと視点を狭めようとしているようにみえる。
逮捕直後の報道として一番問題なのは、<掘江的なもの>を時代の旗手であるかのように持ち上げた小泉自民党への批判的な要素が意識的に捨象されているということだ。もちろん昨年の総選挙での立候補についても触れてはいる。しかし、掘江が「改革」Tシャツを着て汗をかいている漫画的な絵だけで、自民党躍進の原動力になった堀江の役割は、思い起こされないように操作されている。他の民放では繰り返されている、武部や竹中の歯の浮くような持ち上げ応援演説の絵はまったくカットされているのだ。
総選挙の時にNHKも掘江を何回もとりあげて、「小泉劇場」の片棒をかついだ。それは、ある面では状況からして仕方の内面もあったろう。だからこそ、今はその時の何回もくり返された絵を3秒でもよいから流すべきだ。
別に今すぐに小泉自民党への批判的コメントをしろとは言わない。しかし、最低限の客観性を「公共放送」なら担保すべきなのだが、意識的にそれを隠蔽しているのだ。

NHKニュースは、掘江貴文の逮捕に至る問題が、単なる個人または個別企業の問題に狭めてしまおうというベクトルがすでに動き出していることを象徴しているように思える。
「公共放送」であれば、多様な視点に広がりを持たせ得る要素をきちんとありのままに出せばよい。民主党も掘江貴文に接触していたのだから、それだって触れる。少なくとも政治とは関係ないとか、現在の経済秩序とは別問題というように、あらかじめタガをはめてはならないはずだ。

さて、多様な見方の一つにすぎないが、私の感想を簡単にふれておく。
堀江やライブドアだけの問題だったということになれば、新自由主義ポピュリスト派の小泉政権らは、傷つかないし、うまく利用すれば、他の致命的なイシューの目くらましに使われるだけになる。いや小泉が傷ついても、新自由主義派全体が生き残れるようにすればよいということが目指されるだろう。
堀江たちの容疑が、証券取引法の偽計や風説流布にとどまってしまえば、倫理無き<やりすぎ>はいけないという印象だけに終わる。
そして、やはりエスタブリッシュメントになることが大切だという<教訓>を若者は学び、保守主義と事大主義という心性が復活するだけになるだけである。倫理という名で伝統主義や国家主義にポピュリズムが回収されていく。

堀江的な問題は、はっきり言えば低次元である。しかし、低次元な人物の言動に、私たちが関心をもたざるをえないのが、現代の日本の状況だ。政治・経済・文化に関わる問題とならざるを得ないのだが、情報・議論を限定させず、本質的な問題を浮き彫りにしていかなければならない。

人気blogランキングへ