「教育基本法改正」の危険は見えにくい2006年05月23日 23時37分53秒

<「愛国心」を盛り込む教育基本法改正に賛成が多数>という世論調査が相次いで発表されています。共謀罪に比べて、メディアの論調も危機感がありません。

多くの人が「愛国心」そのものについて、肯定していることはおかしなことではありません。ましてや「我が国と郷土を愛する」態度については、文字通りそれが私たちが生きる共同的な社会を大事にするという意味であれば、まったく問題はないのです。

しかし、現実に現行「教育基本法」を改正しようとする人々は、彼らのイデオロギーに基づく具体的な「態度」を教育にもちこみ強制しようとしています。「愛国心」が隠れ蓑になって民主主義を破壊する<危険物>であることが多くの人には見えていないのではないでしょうか。

たとえば国旗・国歌法は、表現の自由を侵害するものではないはずでした。ところが、その制定の結果、<この法律があるのだから、学校の卒業式で壇上のどこに国旗を置き、どのような表情で国歌を歌うのか、学校の自主性など一切認めないやり方で従え>と、細かなことまで強制・監視・処罰する北朝鮮そっくりの現実が生じています。

そのような強制・監視をしている、東京都の教育委員・米長某が天皇に園遊会で諭されたように、「強制になることがないのが望ましい」という市民常識に反して、強行される危険が強いのです。

人々の中には、<行政対日教組の対立>のような既にありもしない神話が強固にあって、特定のイデオロギー対立が、この<教育基本法改正>をめぐる問題だと思われている面もあります。また、治安の乱れや少年犯罪の多発のような世相の中で、愛国心=公共心は大事なのではないかと、かなりの人が考えている面もありそうです。

成熟した民主主義社会では、国家は個人の内心に立ち入らないという原則が当たり前です。国家に指図をされるのではなく、自発的に人々が公共的な関係をつくりあげていかなくては、結局、住みよい社会にはならないでしょう。<国や郷土を愛する>のはすばらしいことですが、それは自然に、健やかな社会の中で形成されていくものだということを、多くの人は感じていると思います。もっと、具体的・現実的な<効果>について焦点があてられれば、世論も変わるはずです。