『いじめの社会理論』は2001年に出版されている2006年11月18日 22時43分47秒

 安倍晋三首相によると
海に平気で空き缶を捨てる子供に対しては、法律で禁止されていなくてもそうした行為は恥ずかしい、やってはいけないのだという道徳や規範意識を身につけさせることが必要です。
 さらに、利益にならなくても、海に捨てられた空き缶を見つければ拾ってゴミ箱に捨てる、といった公共の精神を培っていくことも必要だと思います。
 教育は学校だけで全うできるものではありません。道徳を学び、自分を律し、人を思いやる心は、家庭や地域社会の中で人と人のふれあいを通して醸成されるものです。
 こうした教育に対する基本的な考え方や価値観を、まずはみんなで共有することが大切なのではないでしょうか。毎日様々な問題が発生し、教育のあり方に対する危機感が広く共有されつつある今こそ、家庭が、地域が、学校が、そして一人一人が、自ら何ができるかを考え、自覚することが教育再生の第一歩であると考えています。
 これが新しい教育基本法の意味なのです。最近起こっている問題に対応していくために必要な理念や原則は、政府の改正案にすべて書き込んであると思っています。
安倍内閣メールマガジン(第6号 2006/11/16)[こんにちは、安倍晋三です]より
 ということだそうです。うーん、ここまで国民をバカにした文を堂々と書けることに、改めて感服しました。やはり森派に所属しコイズミ内閣の官房長官を努められた方だけのことはあります。

 現行教育基本法と比較して、何を変えるのかを積極的に説明もせず、ましてや批判される論点に応えて説得しようともしません。すごいですね、思わず、あの元画家志望の独裁者を連想してしまいました。

 ところで、安倍氏の言う「最近起こっている問題」の一つとして<いじめ>があります。メディアは連鎖反応が続いたので、とりあげるのを手控え傾向ですが、被害者たちの訴えは氷山の一角で、それもできない凄まじい現実があるのではないでしょうか。
 これまでのいじめについて根本的に分析をして、政策的提言を行った名著として、内藤朝雄『いじめの社会理論』(柏書房)があります。
 この本が出されたのは、5年も前です。安倍氏や文教族もこの本をきちんと読んで、「教育勅語の精神をモダーンに復活させよう」などという妄想に公教育を巻き込むことはやめていただきたいと思います。

例えば、授業ごとにクラスを替えたり、地域のスポーツクラブを充実させたりする。自由に友達を選べる広い交際圏でシカトをしても、シカトをした側が相手から付き合ってもらえなくなるだけで、そもそもいじめが成立しない。

 これは、内藤氏の日経新聞でのコメントだそうですが、端的に必要なことが示されています。こういう視点で行政・地域社会・教育産業など社会全体が具体的にシステムを変えていれば、今の状況はかなり緩和されたはずです。

 お笑い教育基本法改「正」?でしかない代物、やらせ教育=全体主義教育推進装置でしかない粗悪品が、安倍氏のような恥ずかしい言い訳で誤魔化されてしまうとしたら、恥ずかしい限りです。

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