野党協力・国会戦術・世論の力2007年02月03日 22時06分59秒

 柳沢厚労相の発言を理由に野党は国会の補正予算審議に加わりませんでした。この審議拒否戦術は、政権与党との「がまん比べ」「賭けに出だ戦術」などと言われています。
 柳沢氏の「女性は生む機械」という発言に対する世論の反発を背景にした、この野党の戦術をただちに否定するつもりはありません。しかし、私にはこの戦術に違和感があります。
 「国会議員が職場放棄をするのはけしからん」とか「何でも反対の野党に戻るのか」という意見には私は与しません。議会制民主主義の前提となる原則を、与党や政権が踏みにじるときには、審議を拒否することは当然あり得ることです。
 また、国民的な抗議が政権打倒の意思に収斂していたり、その可能性のある時には、審議拒否は有効でしょう。
 他の場合でも、審議拒否が当然であったり有効であったりする場合があるでしょうが、現在の柳沢氏の発言をめぐる現在の状況や性格は、そのようなものなのでしょうか。

 また、別の言い方をすれば、野党の動きが世論の動きと噛み合っているのかという疑念です。
 あえて左派的な言い方をすれば、「議会闘争」と「大衆運動」(世論の力と言った方が適切でしょう)が連動するようなベクトルが働いているのかということです。

 さらに、私の状況に対する危惧が的外れではないとしたとき、さらに気になるのは野党の協力がどのような質でなされているのかということです。
 次のようなニュースがあります。
<国会>野党3党幹事長会談…選挙に向け結束アピール
           2月3日21時19分配信 毎日新聞

 民主、社民、国民新党の野党3党の幹事長らが3日、土曜日にもかかわらず国会内で会談を開いたのは、4日投票の愛知県知事選、北九州市長選に向けて結束をアピールする狙いからだ。両首長選の結果にかかわらず、野党はあくまで柳沢伯夫厚生労働相の辞任を求めていく構え。ただ、民主党内では審議拒否戦術に対する国民の批判を警戒する声が強まりつつあり、厚労相が辞任しない場合も、野党は7日の衆院予算委員会で始まる予定の07年度予算案審議から復帰する見通しだ。
 この日の会談で、民主党の菅直人代表代行は党内の「欠席批判」を受け、週明け5日にも厚労相の不信任決議案を提出し、与党が否決する様子を国民に見せた後、6日にも補正予算案審議に復帰する「作戦」を他の2党に打診した。
 しかし、社民党の又市征治幹事長と国民新党の亀井久興幹事長は「否決されたら信任したことになり、その後の審議で罷免を要求しにくくなる」と反対。民主党は小沢一郎代表が「社民、国民新との結束維持を最優先させる」方針を指示しており、菅氏は両党の意見に同意した。6日にも3党首会談を開き、改めて対応を協議する。
 
 野党が協力しているのは3党であるし、その中でも今の戦術の展望がぐらついていることが見て取れます。
 共産党は最初は、「審議拒否はしない」と3野党に距離を置いたのに、結果的に審議拒否に同調しました。
 「本当に審議拒否は適切な戦術ではない」と共産党が考えたのなら、3野党にそれを伝え、選挙を控えて安倍政権の弱体化にもっとも有効なやり方は何かを話しあうべきです。

 共産党の志位氏は、次のように言っています。
退席した理由は、政府が罷免に応じないことによって、国会が不正常な状態におちいったさいに、与党が一方的に審議をすすめ、採決までやる、これは国会のルール無視の暴走だとして私たちは退席した。これがこの間の事情ですから、まず、ルール破りの暴走をやめるということが大事で、そのことを強くいいたい。
 一、(かりに不正常な状態がずっと続いた場合の対応について)これは状況をよくみながら、私たちとして適切な対応をやっていきたい。
  2007年2月3日(土)「しんぶん赤旗」

 志位さんは「柳沢氏の暴言は絶対に許すことはできず、罷免を強く求めていく。しかし、それが受け入れられないからといって審議拒否はしない」(厚労相の発言問題、共産党は「審議拒否せず」)と言った手前、苦しい理由付けをしていますが、問題は「私たちとして適切な対応をやっていきたい」というときの、その質・内容です。すぐに一緒にやれなくても良いのですが、「世論の力」と国会での野党の動きが連動する方向に、各野党がもてる力とネットワークのすべてを活用してほしいものです。
 そして、政権交代が現実的な選択肢として立ち現れるような状況をつくってもらいたいです。

「国語力がない」のは橋下弁護士さんではないのか2007年02月09日 23時54分08秒

 程度の低い大臣の発言を感覚的レベルでの批判に終始してしまっては、安倍内閣が体現している国家主義的な人口政策なり「少子化対策」への批判には至らないということがはっきりしてきました。

 とはいえ、感覚的レベルでも「女性は生む機械」発言の問題点を捉えられない人が多いことにも驚かされます。

 テレビ朝日のワイドショー系番組には、コメンテーターが勝手に怒りをおしつけてくる絶叫系「北朝鮮型」のものが多いのですが、偶然にもコメンテーターの弁護士という人が、<日本人の国語力が低いのに呆れる。前後の文章を読んで、柳沢氏の発言のキーワードは何かと問われたら、答えは『生む機械』じゃない。みんな不正解だ>などと言っているのを目にしました。まったく失笑してしまったのですが、今日か昨日も同じ様な発言をしたようです。
 次のようなニュースにもなっているようなので、私なりの感想を一言。
 橋下徹弁護士 「柳沢擁護」に熱弁
 柳沢発言の、少なくとも引用されている前後の文章の要旨で、「機械」という言葉がキーワードにならないとなぜ言えるのでしょうか。
 一応、柳沢さんは次のように言ったとされています。
 なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15~50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。
柳沢厚労相vs女性議員…福島氏ら16人直接辞任要求

 これが事実だとすると、この日本語(国語)文の主旨は、「女性に1人頭で頑張ってもらうしかない」ということなのは明らかでしょう。つまり、ここでは「出生率が低下しているのは、(子どもを生むことができる)女性の1人当たり出生率(合計特殊出生率と彼は言っていますが)が下がっているからだ(同義反復)からこそ、女性が頑張って子どもを生まなければならない。それしかない」と言っているのです。
 橋下さんのような人にとっては、<「女性1人当たりの生む数を増やすしかない」っていうのは当然じゃない?>っていうことになるのでしょうか。
 それとも、<その主張の当否はともかく、「機械」っていう言葉がなくても表現できることを柳沢氏は言いたかったので、「機械」というのは下手な比喩だから騒ぐことはない>、となるのでしょうか。

 それでは失礼ながら<国語力がない>のはご自分であることを自己暴露されているとしか言えないでしょう。
 「機械」という言葉は、「女性1人あたりの子どもを増やすしかない」という、ここでの思想を端的に核心的に表現している言葉であること、つまりまさにここでの象徴的なキーワードになっているということが要点です。それが理解できないとしたら、どうなのでしょうか。多くの良識をもつ人が直感的な非難も含めて批判しているのも、それ故でしょう。

 入試問題なら、問題文がこのような具合だったらどうでしょうか。
以下の文は、次世代育成支援対策(少子化問題対策)を主管する国務大臣が公共の場で行った演説の一部であるが、以下の問に答えなさい。

 つまり、この談話がなされた広義の文脈が前提にすでになっているのです。(だから報道され、テレビで騒いでいるんでしょう?)  女性ではなく、一介の市民でもなく、単なる代議士でもない、厚生労働大臣が、「女性に子どもを生んでもらうしかない」と言っている、だからこそ、彼は「機械」「装置」と言えたし、現に言ったということがわからない人が、「国語力」を云々しているというわけなのです。

 伝えられている発言(の中の引かれている文)では、主体的な意思をもつ人格として個々の女性がまったく考慮されておらず、「次世代育成支援対策」の当の責任者が女性を「生んでもらう」という位置づけでしか見ていないということが問題の核心でしょう。それを明々白々に示してくれているのか「生む機械」という言葉です。

 「国語力がない」のは柳沢さんも同じかもしれませんが、彼は国会で自認したようですから、実はテレビでトンチンカンなことを言っているコメンテーターよりはましということです。