安倍氏は「革命家」か?2007年08月02日 00時20分34秒

安倍首相は、参院選投票前の早い時期から麻生氏などと相談して「続投」を決めていたようですが、開票の夜に森・青木・中川の会談と安倍・麻生の「密室会談」でそれを確認して、開票が終了する前に断固として続投を宣言したということのようです。まったくこれは「談合」です。けれど、安倍氏の強い意志が最重要だったのも事実かもしれません。

多くの人が言っているように、民主主義の「レジーム」のもとでは、主権者である民意に従って行動するのが基本です(そこから「責任」ということが発生するわけですし)。自分の振るまいをその基本を軸にしながら考えるのが、まがりなりにも「自由民主主義」を看板にする党の党首として自然でしょう。
実際に、過去の宇野氏や橋本氏はそうしてきたのですが(宇野宗佑氏に自由民主主義の理念がどれだけ理解されていたかはわかりませんが)、やはり安倍氏は、「戦後レジーム」からの脱却を掲げるだけあって、普通の保守政治家ではないのです。むしろ「革命家」なのでしょう。
選挙終盤に「改革か、後退か!成長か、後退か!」とスローガンを叫んでいた姿は、アジテーションに酔う「革命家」然としていました。そもそも、「美しい国」とは、ナショナリズムが溢れる反動国家であり、彼の言う「憲法改正」は実際は憲法改悪=自由民主主義原理の否定あるいは弱化なのだから、彼は現体制を転覆しようとする「革命家」なのです。
それぞれ抱えている事情があるとはいえ、「保守本流」をいちおう言ってみる舛添要一氏や、本当に保守本流を出自とする加藤紘一氏らとはまったく違うのは当然でしょう。
「革命家」であるからには、自らの信念に立脚し、一時的に大衆からの支持を得られないからといって右往左往せず、断固として自ら信じる路線を突き進むということも必要になります。たとえば、レーニンが選挙で選ばれた憲法制定議会を粉砕した悪名高い例が思い起こされます。

しかし、安倍氏が真の革命家なのかどうかというと、彼には小状況への対応をうまく判断できないだけではなく、一定の理論と戦略をもっているようにも思えません。
今回、中曽根氏が「お祖父さんの岸首相も困難な安保騒動を切り抜けたので頑張れ」というようなことを言ったようですが、中曽根・岸氏というレベルでの展望・戦略をもっているとも思えません。
だいたい、「美しい国」という情緒的な言い方自体に現れているように、彼の信念はすごく感覚的なものに過ぎないように思われます。「戦後民主主義は悪い」、「自由の行き過ぎは良くない」、「教育勅語は大切だった」、「天皇は日本の中心だ」、「伝統的な家族は大事だ」などのレベルにとどまっていて、それらを理念的に体系化・深化させて、具体的な戦略や政策に練り上げる、真の革命家として資質があるとはとても思えません。そうした指針・理念がないから、小状況に対しても対処できずに、「ナントカ還元水」も「絆創膏坊ちゃん」も放置することになってしまうのでしょう。

そういう点で、同じナショナリストでも石破茂氏のように、論理を大切にする指向がある人から見ると、安倍氏の行いはお粗末きわまりないのでしょう(背後に抱えている事情もあるでしょうけれど)。

そういう意味で、安倍氏ではなく、本当の意味での「革命家」が現れて、戦後レジームの打倒をめざし、理念でも、政策においても高度な内容をもつ指導者となるとき、さらに、それが今のポピュリズム的な動きと結びついていくとき、自由民主主義は完全に死ぬ危険があります。
どこの国でも似たような状況ですが、これから安倍氏がポシャったとしても、危機がなくなるわけではけっしてないということです。