滅びつつある日本社会2008年07月23日 22時21分12秒

<八王子殺傷>現場近くで包丁購入 「誰でもよかった」
と伝えられる、<八王子通り魔事件>についても、<秋葉原通り魔事件>と同様に、深い取材に基づいたジャーナリストのレポートを待ち望んでいる(そのようなジャーナリズムが今の日本に存在するかどうか心もとないが)。

ともかく、犠牲になった若い大学生が、未来に向けた日常を生きていられた様子をきくと、本当に暗澹たる気持ちになる。そして、怒りを感じずにはいられない。

紋切り型の物言いであるが、おそらく、中学時代から不登校に追い込まれ、孤立感と不遇感につかまってしまったのではないかと想像される容疑者のような人々が生み出されているのが、現在の日本社会なのではないか。

今の日本で起きていることは、凶暴性を潜在させている私たち人間を抑制するような<関係性>が機能不全に陥っているということなのだろう。日々の鬱陶しさについて愚痴る相手すらいなかったり、精神的に落ち込んでいるときに心配してくれる相手も見いだせなかったりする人間関係を生きている人々が増えているのだ。

今回のような<通り魔事件>に類似した事件や、未遂に終わった事件はあまたあり、私たちはそれらにほとんど慣れてしまっている。
そのことから、私が連想するのは、時々目にする電車の中で<危ない人>に遭遇した時に、多くの人が知らぬ顔をして目を伏せるあの光景だ。あるいは、公共の場で飲酒や喫煙をしている、明らかに未成年の集団を横目にして足早に通り過ぎる<社会人>たちの様子だ。

そして、大衆的に政治行動がほとんど起きないに等しい、不気味な日本社会の有り様だ。
たとえば、今日のニュースには、<セルビア>カラジッチ被告の支持者ら暴れる ベオグラードという報道があった。セルビアの右翼はこうして直接的に行動に出る。ところが日本のウヨクのほとんどは、ネットで罵詈雑言を浴びせることが行動だと思っている。(左翼もまったく同じだ。こちらはもっとひどくて業界としての儀式があるにすぎない)。

人と人とがぶつかり合わず、摩擦を避け、少数派を排除し、<ヘンな人>を圧殺し、言上をせず、同調したふりをし、利権を<権利>として絶叫するクレーマーとなる人々の群れ。<関係性>がずたずたになった、今の日本社会は滅びる方向に向かっている。

<人と人との関係の総体>としての社会関係の深部で起きていることと通底していない、<政治>や<経済>の議論は無力である。政権与党はもちろん、それを批判する政治勢力の人々も、どこまでその認識をもっているのだろうか。