庶民性2008年05月06日 00時09分06秒

2008年の連休週間。国会ではガソリン税の暫定税率復活法案が、日本国憲法の規定に即して可決された。

そして、憲法記念日を迎えたけれど、それは私にとっては、ただの「黄金週間」の一日でしかない。せいぜい新聞の社説を読んだだけ。

4月末日の長い行列に加わる時間もなく、5月になってガソリンを満タンにして、高速道路を走る羽目になった。

チベットの人々の生活に何の関心もないくせに、大騒ぎをしている日本メディアの欺瞞につき合う必要もないけれど、所詮、立憲制が担保れていない国家と、立憲制を空洞化させつつある国家の「外交」に期待などできるはずもない。

オタクと買い物客と外国人がごった返す秋葉原で買い物をしてきたが、東京の街は、モノと時間を消費する人々の、日常的な休日がゆっくりと進行していた。



連休明けで共謀罪・教基法国会へ2006年05月06日 18時24分01秒

 すでに連休を終えた方や、連休などなく仕事に追われている方も多いと思います。
 私は天気が良かったので、近所に開店したカフェに行きました。おそらくご夫婦で開業された店で、思わず応援したくなりました。たくさんのケーキも手作り。何となくぬくもりが伝わってくるお店でした。
 のびやかな空気の中で、いつの世も私たち庶民は、こうした何げない日常を大切にしながら、生きていくしかないのだということを改めて実感しました。
 「戦争中でも庶民はこういう楽しみをもっていた」という話しが、最近よく聞かれますが、それはどのような環境でも、生きている限りは私たちの<生活>があるからです。

 カフェで自由な会話が楽しめるということがなければ、<生活>は息苦しくなります。<生活>をこの緑の微風にふさわしいものにするために、私たちにとって<自由>がかけがえのないものなのです。

 もちろん、共謀罪が与党修正案のまま法律化されてしまったり、教育基本法が改悪されてしまったとしても、そうした<生活>は死滅しません。むしろ<生活>こそが、<自由>が本物になる基盤のはずです。

 それにしても、「組織的な犯罪の共謀罪」に対する御懸念について」http://www.moj.go.jp/KEIJI/keiji30.htmlで、政府は「組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪を共謀した場合に限って成立するので,このような犯罪以外について共謀しても,共謀罪は成立しません」と言います。それなら、なぜそのように団体要件を法律案で明確化しないのでしょうか。
 国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約に沿った共謀罪の新設が必要だというなら、なぜその条約のいう犯罪要件を広げて、恣意的な解釈が可能な法案にするのでしょうか。

 <自由>を巧みに制約するマヌーバーを愛好する官僚・政治家先生たちや、「日本でテロを防ぐ気がないのか」と恫喝する下卑た洗脳家が横行するのは、この緑風に本当に似つかわしくないですね。

元旦と二日を過ごして2006年01月02日 23時35分39秒

謹賀新年。

新年のめでたさもテレビを見ると苦さにかわる。
といっても、テレビを見ていないと、社会の諸相の一端がわからないのが現代なのだから、つまり、人の話について行けないのはまずいので、少しはチェックしておくために、見てしまいます。

大宅壮一先生が憂慮した事態が極限までいっているのですから、その点を今さらどうこう言っても仕方ありません。とりあえず、「お笑い」というのは、私にとっては「ぶっこわされた笑い」でしかないので腐った食べ物を口にするのと同じなのですが。(「ぶっこわされた○○党」と同じと思えば許せます)

そして、車で出かけると元旦も、多くの大規模店は初売りをやっており、ファーストフードはどこも盛況。多くの人は普段と変わらぬ生活をしている(させられている)ようです。夜の高速道路では凄まじい数の宅配業者のトラックが走っており、ファミレスではまったくルーティン通りのサービスを受け、何だかアルバイトの女子高生に「新年おめでとう」と言いそうになってしまって慌てて口を噤みました。
寺社の初詣で並んでいる人々も結構目立つのですが、何だかアミューズメントパークの順番待ちしているのと変わらぬ風情です。



人と人との関係も、労働や消費の仕方も、そしてそれらを拘束していたケジメも、すべて従来のあり方が溶解していくことがあらためて実感できる<新年>です。

賀するに足ものとは到底思えないのですが、しかし、どんなに哀しくてもニコニコして「謹賀新年」と叫びましょう。

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年末に(嫌中・嫌韓・嫌米・嫌日の虚妄)2005年12月25日 20時06分08秒

 昔は年末になると、その年を振り返り、今後の行く末について考えることが多かった。少なくとも、2000年代に入ったばかりの頃までは、そのようなゆとりがあった。

 しかし今、なぜかそのようなゆとりがない。単に時間が無いという意味ではなく、自分の周囲の小状況にしても、社会的な大状況にしても、立ち止まってじっくり考えようとすることが難しいほど、危機的でせっぱ詰まっているのだ。

 少数の上層の人々はバブルの再現を思わせる、偏った景気回復に酔っているけれど、その矛盾を押し付けられる側が、それを押し返そうと現実の生活の中で立ち向かうためには、絶望的な努力を必要とする。それは、政治の状況でも同じだ。

 新自由主義や国家主義への反転攻勢を行っていくためには、一刻の猶予も許されないのに、政治や社会運動の「指導部」の人々は、固定化されパターン化された枠組みの中で「引きこもっている」かのようである。日々の生活をおくるだけで精一杯の庶民をまるで俯瞰しているだけのようにさえ思ってしまう(そうではない人々もいることを知ってはいるのだが!)。

 と、愚痴めいたものいいになってしまったが、何かに期待しても仕方ない。庶民の一人一人ができるこをするしかないのだ。
 耐震偽装問題であまりに露骨に隠蔽を行おうとした自由民主党・公明党の指導部の連中も、欺瞞的にではあるが、ちょっとは「真相解明」のポーズをとってみせたように、庶民の行動を彼らは恐怖していることは確かだ。

 とりあえず新自由主義改革とナショナリズムをメディアがさかんにまき散らしている中で、それに影響をされる人々の意識の中にも、それらを克服していく芽がまったく摘まれているわけではないずなだ。

 といっても、それを現実にしてくことは疲れる。
 今日もこんなニュースがあって、イヤな気分だ。
内閣府が二十四日発表した「外交に関する世論調査」によると、中国に「親しみを感じる」と回答した人は32・4%と前年より5・2ポイントも減少、この質問を始めた昭和五十三年以降、最低となった。逆に「親しみを感じない」とした人は63・4%(前年比5・2ポイント増)と過去最高になった。また、日中関係を「良好と思う」と感じている人は19・7%(同8・4ポイント減)と10%台に転落。「良好と思わない」は71・2%(10・2ポイント増)にものぼった。
   「政冷経熱」と言われる日中関係だが、四月の反日暴動や小泉純一郎首相の靖国神社参拝に反発する中国の姿に、日本国民の間で「嫌中意識」が広がっていることが裏付けられた。
 一方、韓国に対しては「親しみを感じる」とした人は51・1%と過半数を占めたが、四年ぶりに減少。「親しみを感じない」と回答した人は44・3%と前年より5・1ポイント増えた。
 日韓関係については「良好と思わない」と回答した人は50・9%と前年から16・0ポイントもはねあがり、「良好と思う」(39・6%)を四年ぶりに逆転した。  首相の靖国参拝や竹島問題への韓国政府のかたくなな対応が影響したとみられ、「冬のソナタ」など韓国ドラマなどによる「韓流ブーム」も陰りが出てきたようだ。

 「嫌中」・「嫌韓」という下劣な言葉を創造し流通させているメディアにとっては、さぞ誇らしい結果であろう。
 そもそも「外交に関する世論調査」が、国家や地域単位(たとえば「中東諸国」)に親しみを感じるかなどを聞くことに意味があるのだろうか。
 個々人の個性や、国家に内包される諸文化を捨象して、国家単位で「親しみ」なるものを実体化させるのは、イデオロギー操作ではないか。
 日本国民に「日本国に親しみを感じるか」を聞いてみることを考えれば、それが何を意味するかはわかるというものだ。
 「親しみを感じる」「感じない」の対象が、中国や韓国の現政権の外交政策であり、それについて聞くというのならまだ意味があるかもしれない(言葉の用法としておかしいが)。
 それをメディアがさらに「嫌中」「嫌韓」などと、露骨なレッテル張りをして悦に入っているのだから、余計に始末が悪い。
 「嫌米」だとか「嫌日」だとかいうのも同じく下劣で虚妄だ。こうした発想は、結局わたしたち庶民を国家の道具に絡め取ろうとするものにほかならない。

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追記:「抗日」や「反米」がその国の政府による不当な侵略や抑圧との対抗で用いられたような使用を否定しているわけではありません。

「70年代的なもの」のレトロ化2005年11月18日 23時57分53秒

紀宮さんの「降嫁」、わが国の真の主権者ミスター・シリー・プレジデントの来日、日本国籍保持する人権侵害元大統領の拘束など、重大な出来事が次々に起こるのですが、私には新聞をじっくり読む時間もないという有様です。

どうして、こんなに時間がないのかというと、今の御時世ですからね、ということになるのですが、どこの組織でも、物事の意思決定やコミュニケーションがやたら形式化・官僚化されていて「お仕事」を増やしているということがあるのではないかと思います。

それは、マックス・ウェーバーが指摘したように、近代化が進めば機能的な集団の組織化・官僚化が進むということの延長にあることは、確かでしょう。

ただ、そこで思い出すのは、70年代には、さかんに「管理社会化」が論じられたことです。管理社会というのは、効率化のはてに、人間が組織の歯車になり、コミュニケーションが冷たい形式的なものになっていく、「非人間的」な社会というイメージでした。

管理社会の対極にあったのが、あのジョン・レノンのうたった「イマジン」の理想へ向かう世界であり、当時、かなりの若者たちが何となく共有していた、<生活の中に「自由」が浸透していく>というイメージだったと思います。それは、ラディカリズムや「進歩派」「革新派」のいだいていた政治社会レベルの理想や展望とは、また別次元のものでした。

もちろん、すごく雑な言い方をしているのですが、60年代から70年代にかけて、高校進学率が90%を越えたあたりから、すでに管理社会化が始まっていたからこそ、若者はジョン・レノン的なものに共感したわけではありますが。

さて、東武が運転士を懲戒解雇 というニュースを聞いたとき、私が最初に思い浮かんだのは、この「管理社会」という言葉です。今の社会は、70年代的な感覚から言えば、すでに超管理社会になりつつあるといえるでしょう。

私は、東武鉄道がこの運転士を解雇したことについては、具体的な状況やこの運転士の勤務態度等の情報があまりないので、特に賛否は言えません。ただし、実際に私の子どもの頃、友人が国電(懐かしい!)の運転士さんにより運転席に入れてもらったのを知っています。それに類することを、目撃したり経験したりした人はたくさんいるでしょう。

それに限らず、生活のあらゆる面において、今日のルールや規則では許されないことが、昔はおおめにみられていたと思います。よいとはされていなくても問題にされていなかったということも少なくありません。

おそらく70年代に子ども・青年時代をおくった人にとって、今の若い人々の規則・マニュアルに対する感覚は「かなり俺たちの若い頃とは違うな」というものだと思います。これは学校をはじめ、育つ環境が異なっているのだから、当然そうなるわけですが。

話を東武鉄道のことに戻すと、「処分が厳しすぎる」という意見が多かったそうですが、それは、小さい子どもが絡んでいるからでしょう。子どもに甘いのは日本の庶民の伝統であり、それは(西洋)近代的な管理教育とは違いますからね。

いずれにせよ、管理社会化が進めば進むほど、どこかでそれを人は窮屈に思うわけです。だからといって、それが管理社会全般への「反抗」へと向かうことはありません。管理は教育や文化の中に前提されているからです。

だから、ジョン・レノンに象徴される「70年代的なもの」は、レトロであることで、意味があるにしても、時代の主流には成り得ません。

「管理社会」全般を覆すことは困難ですが、「管理」をコストとして受忍できなくなる人々が「反抗」や「無視」に向かうことはあり得ることです。それが、別の形の管理を誘発するのが、今の時代ですけれども。

暗くなる話ですね。本当は、快楽としての消費だとか、効率化と組織化などという話と絡み合うのでしょうが、整理できないのでやめて、ジョン・レノンを聴いて寝ます。

<憲法調査会>特別委員会に格上げ2005年09月16日 00時11分38秒

 実態のない空虚感のみが残る、スカスカな深刻さともいうべき、9.11選挙結果でしたが(たとえば73年チリや01年アメリカのそれらと比べても、質的にまったく違う深刻さ)、仕事をしている時以外は、あれこれ考えてしまい、よくありません。やはりインパクトが大きかったのでしょうね。

 小泉クン、国連に余裕で行けたようだけど、ちゃんと次の仕掛けに怠りないようです。

 でも、すぐにこういうニュースが流れてくるのは、いったいどうなっているのだろう。特に、民主党は機能する執行部自体がないはずなのに。規定方針なのでしょうか。でも、党内が空中分解しそうなテーマで、事を進めて何か得られるものがあるのでしょうか。まったく不明です。

憲法改正へ常任委 自公民 調査会格上げ合意

五月病2005年05月28日 23時26分59秒

 私の若い頃は、(って年寄モードに入っていますが)五月病というと、一部の大学生を悩ますものという感じで言われてました。
 でも、4月を節目として生活していると、新年度の目まぐるしさの中で、エネルギーを使い果たしような感覚を覚えがちです。
  新緑と気持ちの良い風の中で、夏が来る予兆に、本当は「盛りあがる」はずなのに、気持ちのどこかで、「何をやっているのだろう」という懐疑の芽が大きくなるような・・・・。
  私が4月にスタートをきる生活スタイルをとる環境にいるから、余計に感じるのかもしれません。
  まあ、あまり考えずに、思い切り寝るか、体を動かしてくたくたになるか、が良いのでしょう。