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    <title>メンフィスからの声</title>
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    <language>ja</language>
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    <pubDate>Sun, 21 Feb 2010 16:54:15 +0900</pubDate>
    <item>
      <title>「選択的夫婦別姓」という言い方への疑問</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2010/02/21/4896839</link>
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      <pubDate>Sun, 21 Feb 2010 16:19:42 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2010-02-21T16:54:15+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2010-02-21T16:54:15+09:00</dcterms:created>
      <description>結婚に際して、それまでの自分の姓を維持するか、結婚相手の姓に変更するか、いずれかを選べる制度に変えることの是非が、現在、民法改正の一つとして議論されていることであろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
それを「あなたは夫婦別姓に賛成か反対か」という言い方で、この改正案について考えさせようという一部（メディア等の）議論は、すでに何十万回も指摘されていることだが、すり替えと言われても仕方ない。&#13;&lt;br&gt;
「夫婦同姓も夫婦別姓もとちらも認める制度にすることに賛成か反対か」と問わねばならないのだから。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「選択的夫婦別姓の導入」という言い方も誤解を生む言い方ではないか？&#13;&lt;br&gt;
現在は「夫婦同姓強制制」であるが、それが「夫婦同姓選択制」になるということなのだから、「選択的夫婦同姓の導入」と言っても良いことになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
何事も理性的な議論を避け、ムードで決めようという風潮がここでも目につく。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>絶望も希望も虚妄である</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2009/08/15/4518153</link>
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      <pubDate>Sat, 15 Aug 2009 20:47:53 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-08-15T21:16:36+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-08-15T21:02:07+09:00</dcterms:created>
      <description>没落と頽落に落ち込みつつあるこの国で、やっと議会制民主主義の片鱗のそのまた片鱗が実現しつつある。&lt;br&gt;&#13;
自明のことだが、自民党が政権から転落したとて、マスメディアとインターネットに蔓延る、真っ黒なカビ同様の有象無象、即ち似非評論家・憂国者・ゲンダイのＳＡ＝ネトウヨ・小泉チルドレン・デイトレーダー・薬物中毒・歴史修正主義者・ＤＶ・カルト信者・左翼全体主義者がこの国から消え去るわけではない。&lt;br&gt;&#13;
民主党政権が成立したとしても、それは吉田内閣と鳩山内閣くらいの違いしかない。&lt;br&gt;&#13;
そうだったとしても、それが冷厳な歴史の一コマであり、一人一人の人間が個人として、歴史と自己に向き合い、責任を引き受けるしかない。&#13;
どんなに、それが虚妄の８．３０であるとしても、人類の歴史はその虚妄の連続でしかないのだから。&lt;br&gt;&#13;
＊やっと&lt;a href="http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/09/23/3780026"&gt;総選挙に関する独断１０のテーゼ&#13;
&lt;/a&gt;&#13;
が現実化しつつある局面における８．１５に。
</description>
      <dc:subject>時評</dc:subject>
      <dc:subject>歴史</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>民主党の「解散要求」について</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/10/16/3823134</link>
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      <pubDate>Thu, 16 Oct 2008 21:55:10 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-10-16T22:14:56+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-10-16T22:09:38+09:00</dcterms:created>
      <description>一言。民主党が「補正予算」や「給油法案」通過に協力して、「国民の審判を」と要求しているのに対して、自民党麻生氏は「まず景気対策だ」と逃げをうつという構図は、すれ違っていてまったくおもしろくない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
民主党は「短期的な対策も必要だが、本格的な政権交代による長期的な経済対策を」と言っているようだが、メディアが伝える姿は「解散を」の連呼のみではないか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
国民に信任されていない政権に対して「国民の審判を」というのは正しいが、それ以上に「民主党政権によって、このように経済構造を変えて、旧自民的バラマキでも、格差拡大の構造改革でもない、第三の道を実現することが経済対策だ」と具体的にもっと言うべきだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「解散がいつか」（「解散を早くやれ」）なんて国民にとっては副次的な問題に過ぎない。アメリカの金融破綻がなぜ起きたのかを、民主党議員はちゃんと語れるべきではないのか。やはり民主党執行部は、米民主党にもっと学ぶべきだ。&#13;&lt;br&gt;
「資金が続かないから早く解散を！」というのが本音だとしたら、話しにならない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
政策論を先行させないで政権交代ができるのか？&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>チンピラ政治家</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/09/29/3788634</link>
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      <pubDate>Mon, 29 Sep 2008 18:55:19 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-09-29T19:10:07+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-09-29T18:30:54+09:00</dcterms:created>
      <description>本当に信念をもって行動する政治家が、たった５日間で仕事もせず公費とメディア資源を空費して辞任するか？中山成彬前国土交通相は、他の安倍や麻生の「お友達」と同じく、かなり程度の低いチンピラ政治家だということだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
自民党の中には残念ながら、中山某のように、「労働組合」や「男女平等」や「民族の共存」や「平和」や「人権」をイデオロギッシュに憎悪するカルト脳のチンピラ政治家がまだたくさんいる。彼らは、冷戦構造下の日本で「反共」意識を殖産された人々なので、そのころ意識に焼き付いてしまった観念を化石化させて、柔軟に物事を考えられない。&#13;&lt;br&gt;
もちろん冷戦構造下の化石思考のままで現実に適応でも対応もできない左翼や「市民派」もいるが、彼らは国家権力とは無縁だからまだましだ。ところが、安倍晋三やその「お友達」に代表される政治家たちは、権力と直結して「戦後レジームからの脱却」だとか「戦後民主主義の見直し」とか、危険きわまりないカルト思考にやられてしまっている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日教組本体は左派イデオロギーと無縁で文科省ともテーマによっては協力しているのだし、（それどころか単組によっては行政と結びついている地方も少なくないようだ）、組織率だって３割程度なのだから、いかに中山某のように「事故米問題も日教組教育のせい」という「政治信条」を叫んでも、自分のバカぶりを宣伝するようなものである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そのうえ彼らは、自分のことを「愛国者」だなどと考えているのだから始末が悪い。&#13;&lt;br&gt;
無辜の自国民を殺傷した大量破壊兵器を投下した国家に対して、責任追及などまったく行わず、わが国の広大な国土と労働資源と血税をその外国政府に献上し続ける売国政策のために体を張っている連中が「愛国」を僭称するなど笑止千万である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
こういう不道徳なチンピラ政治家こそ、個人の尊厳と他者の尊重に基づく、道徳教育を必要としている。大臣として公の発言で、批判？対象を「ごね得」とか「ガン」というようにしか表現できない品性のなさはネトウヨや黒塗り街宣右翼の絶叫と同じではないか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
このようなチンピラ政治家が跋扈できるのは、グロバリぜーションが進む中での不安定感が、「ナショナリズム」的デマゴギーによって癒され回収されるという、世界各地でみられる状況が一つの根拠になってはいる。そうはいっても、知事や大臣級で、日本ほど簇生している先進国は多くないだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
麻生首相は、国会の所信表明演説の冒頭で、中山某のことは謝罪したようだが、彼自身の過去の言動には、チンピラ政治家の域を出ないものが多々あり、同じ穴の狢とみなされても仕方ない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
今後も、同じ種類の問題が、この内閣から出来することが予想される。自民党の良質な部分が生き残るためには、思い切った解党しかないのかもしれない。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>総選挙に関する独断１０のテーゼ</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/09/23/3780026</link>
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      <pubDate>Tue, 23 Sep 2008 00:32:06 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-09-23T23:04:28+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-09-23T00:55:50+09:00</dcterms:created>
      <description>１．この総選挙で自公政権を終わらせ「政権交代」を実現することは至上命題である。小沢氏は＜政治生命をかけ、負ければやめる＞と言っているが、「政権交代」ができなければ私も日本国民をやめたい（くらいだ）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
２．民主党は「責任担当能力」のある「責任政党」であり、自民党のような＜政権投げだし＞＜総裁選挙祭り＞しかできない無責任政党とは異なる点を内実をもって示す必要がある。まず、きちんとした国会審議を要求すること、補正予算の対案を策定し示すことが必要だ。そしてそれは、何より、総選挙マニュフェストの政策について具体的な財源と行程表を示すことなどができるかどうかにかかっている。この点は、小沢氏ら執行部は３段階で示していくというが、具体的で説得力があるものになるのか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
３．また、新自由主義的な小さな政府ではないが、旧福祉国家や大きな政府ではないという、経済社会における政府役割のグランドデザインが求められる。閉鎖的な官僚制と非効率な役所仕事を打破するとともに、天下りの廃絶・公務員の削減を行い、国民生活重視に資源配分をシフトさせる。さらに、その資源配分のしくみそのものを変えるというモデルをつくる必要がある。それができる政党が存在しないのが日本の現状なのは事実だ。少なくと、民主党がそれに接近するためには、社民党・国民新党などとの「平成改新連合政権構想」づくりを行い、財界・労組等の既成権益団体の代表ではなく、企業経営や労組あるいは官庁の中で、創意をもって現場で問題解決にあたっている各界の個人を政策作りに参画させるべきだ。「新自由主義」の息の根を止めるのは、非効率で官僚主義的な「大きな政府」（旧社民主義）ではなく、「第三の道」の具体化だろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
４．同様に給油問題についても、民主党は「対テロ」・「国際貢献」の対案を練り上げる必要がある。アフガニスタンについて給油とは異なる民生支援と、国連決議に基づく自衛隊の参画案をもって、民主党の代表団かネクスト外務大臣をアメリカに送り、オバマ及びマケインと会談して「検討に値する」と言わせるべきである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
５．麻生太郎氏が人間的品位という点だけでなく、公人に求められる最低限の人権意識を欠如させている人物である点は、メディアではほとんど取り上げあげられていない。必ず出来する「失言」を単なる騒動に終わらせず、本質的問題をメディアにとりあげさせるべきである。アメリカとはことなり、ネガティブキャンペーンは受け入れられないから、小沢民主党がそれを言うのは禁じ手だ。創氏改名暴言など歴史問題と合わせて、左派政党が効果的にとりあげるべきだろう。特に日本共産党は部落差別の問題について利権主義に一貫して反対してきており、また京都で（麻生氏に許すべからざる発言をされた）自民党政治家とも対決してきただけに、その批判には説得力がある。&#13;&lt;br&gt;
企業経営者が公の場で麻生氏のような発言をしたらどうなるだろうか？はっきり言って、あのような人物は問題外のはずだ。総理大臣として何ヶ月も政権につくとしたら、日本が現代国家の態をなしているかどうかが問われることになる。こういう人物を総裁にするほど理性的判断もできない自民党は、もはや統治能力を失っている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
６．「政権交代」の政権は、現野党の連合政権となるのが望ましい。なぜなら、民主党のこの間の問題が清算されるわけではない。昨年参院選後の無責任な大連立構想を反省し、総選挙後に同様のことがすぐに起きないようにするためにも、政策協定を結び連合政権となることが一定の担保になるだろう。いずれにせよ民主党与党の政権が政策を実行するときに、その可否をめぐって民主党内が割れることは予想がつくので、中長期的には次の政権が動揺することになるのはやむをえない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
７．だから「政権交代」の後にやがて「政界再編」がやって来るだろう。その政界再編で「自民党をぶっ壊す」の最終局面が完了されなければならない。つまり、長期政権の下で続いてきた、意思決定と権力と資源配分が、自民党を通して（官僚や自治体・権益団体と絡みながら）行われてきたしくみが終わる。それによって統合されていた自民党は、国家主義者や新自由主義者、理念なき権益追求集団、中道右派、リベラル保守などに分解してしかるべきである。それに民主党が巻き込まれ、一定の整理がされることが望ましい。それが議会制民主主義のまともな機能につながれば。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
８．政権交代は左派野党再編にも影響を与えることが望ましい。米国型格差社会ではない、西欧的な資本主義の要素を取り入れるためには、日本に政策実行力のある社会民主主義政党が必要である。来るべき「政界再編」では、共産党・社民党も解体されていく第一歩となることが望まれる。政権獲得意思をもたず党内民主主義もないような化石化した政党は、遅かれ早かれ国政レベルでは消滅に近づくだろうが、それとともに（スターリン主義とは異なる）「社会主義」や「社会民主主義」もすべて化石化されてしまっては困る。その積極面を現実の中で生かし空論を克服する実体のある勢力が求められる。現実の問題解決と無関係な政党は「趣味者」や「宗教」集団として自足してもらえばよい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
９．「政権交代」は単なる通過点であり、政策実現の手段である。日本における新自由主義「構造改革」を終わらせるとともに、反動的改憲策動の息の根をとめることが必要である。そのためには、憲法についての議論は深められなければならない。たとえば自由民主主義・立憲主義・平和主義に基づく憲法改正と国家主義・反平和主義に基づく改憲とがまったく異なるという当たり前のことをメディアが無視するような幼稚で危険な状況は終わらせなければならない。&#13;&lt;br&gt;
また、対東アジア政策、北朝鮮の国家犯罪＝拉致問題と、それらは結びついているのだから、総選挙でも議論される必要がある。世界各地でテロや戦争生み出しているナショナリズムや排外主義を東アジアでも克服しなければならない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
１０．アメリカ金融の動揺はまだどうなるかわからない。アメリカの大統領選挙も共和党勝利の可能性がずっと高まっている。日本で「政権交代」は絶対必要な道であり、歴史的必然であろうが、しかし、わからない。何らかの「サプライズ」や謀略とも思えほどの重大事件が起こり、その必然をねじ曲げるということを２１世紀に入って私たちは、目撃してきた。&#13;&lt;br&gt;
日本で「政権交代」が実現したとしても、今後の日本社会がどこに向かうかは、まったく予断を許さない状況であることは変わらない。そのような危機的な状況であるからこそ、やはりこの総選挙には重みがある。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>時評</dc:subject>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>福田首相辞任記者会見中</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/09/01/3733711</link>
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      <pubDate>Mon, 01 Sep 2008 21:40:43 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-09-01T21:56:33+09:00</dcterms:modified>
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      <description>まったくバカバカしい。福田氏は小泉・安倍よりずっとよかったのに、党内外世論に負けてしまってどうするのか。&lt;br&gt;&#13;
結局、責任感がないということなのですね。&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&#13;
今日の民主党小沢氏の代表選出馬表明も、原稿を読み上げていて落胆させられたが、今度は、最悪の麻生氏か小池氏が出てくれば何とかなるという、自民党政権の「支持率回復」を最優先するという保身者集団の力学を越えられない為体は話しにならない。それを野党のせいにしてどうするのだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
最近の「バラマキ」攻撃も滅茶苦茶だが、結局、右よりの勢力とメディアが「空気」を作って事態を動かしていく理念不在の本質はまったく不変だということを改めて示した。
</description>
      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>日米民主党を見たときの絶望感</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/08/29/3719456</link>
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      <pubDate>Fri, 29 Aug 2008 23:11:39 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-08-30T00:05:38+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-08-30T00:05:38+09:00</dcterms:created>
      <description>日本の英語教科書にも載るマーティン・ルーサー・キング演説を記念する今日、バラク・オバマはデンバーのフットボールスタジアムで、8万の聴衆と数百万のＴＶ視聴者に向けて大統領候補受諾演説を行った。&lt;br&gt;共和党マケインの攻撃に具体的に反撃し、分かりやすく力強い演説の後には、北京鳥の巣での祭典を思い起こすような花火が会場を包む。&lt;br&gt;まさに、まつりごとは祭りである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
さて、日本の民主党のていたらくには目も当てられない。&lt;a href="http://anyplace.asablo.jp/blog/2007/11/06/1894906"&gt;ここまで来た政治の劣化&lt;/a&gt;としか言いようのなかった小沢一郎氏の大連立騒動があった後の、初めての代表選挙が行われようとしているのに、未だに小沢氏に対抗する立候補者が現れる気配がない。あのような背信的策動を行っておいて、その責任を問う対抗者が出てこない政党がはたしてdemocraticなどと言えるだろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
海の向こうの民主党では、オバマとクリントンが死闘を繰り広げてきたが、日本の民主党には堂々とした公開の場での路線・政策論争も、それがもたらすダイナミズムも期待できないのだろう。&#13;
おまけに、今日伝えられたのは、&lt;a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080829-00000126-mai-pol"&gt;＜姫井参院議員＞新党には参加せず　民主離党届を撤回&lt;/a&gt;なる低劣なできごとである。民主党執行部は姫井議員を不問にふすようだが、そうであれば、われわれ庶民が姫井議員にペナルティを課し、そして、民主党にペナルティを課すしかないない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
こういう無責任・無定見政治家が民主党で横行していることの不幸に、絶望しか私たちは見いだすことができない。なぜなら、自民党政権を終わらせるためには、とりあえず次の総選挙で民主党を勝たせるしかないからである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
民主党全体を見渡せば、個々の課題に地道に取り組む国会議員や地域や産業の問題と地に足をつけて取り組む人々が少なくない。だからこそ、この現状を私たちは何とかして変えなければならない。&lt;br&gt;&#13;
では、どうやって？
</description>
      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>米民主党大会を見て思ったこと</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/08/28/3715441</link>
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      <pubDate>Thu, 28 Aug 2008 18:24:18 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-08-28T22:45:09+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-08-28T18:59:00+09:00</dcterms:created>
      <description>伊藤和也さんの死が確認されうちのめされながら、アフガンの現状を（主に）つくり出した当事者のアメリカ合衆国で行われている民主党大会の様子をテレビで見た。&#13;
&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
いつものことだが、大統領候補を決める党大会はお祭りだ。&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&#13;
日本ではどちらかといえば、中国共産党や朝鮮労働党の党大会と似たり寄ったりのことをやっている政党も残存しているが、それと対極にある。代議員たちが思い思いの格好で参加し、さまざまな声を張り上げ、時にはダンスをして、楽しみながらお祭り騒ぎをつくり出している。&lt;br&gt;&#13;
そして、演壇で演説する政治家たち（労組の活動家などはCNNではカットされてコメントの時間になっていた）が分かりやすく、雄弁に話すということも印象的だ。&lt;br&gt;&#13;
ヒラリー・クリントンも、ビル・クリントンも、ジョー・バイデンも、きちんと＜伝える＞ということを行い、会場はそれに呼応して盛りあがる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
例えば、ヒラリーは選挙戦であったシングル・マムや海兵隊員のことを具体的にあげておいて、そして支持者に、＜みなさんは私のために闘ったのか、それともあの人たちのために闘ったのか＞とたたみかける。聞いている人の心に響くだけではなく、テレビがどのフレーズをとりあげるのか、新聞がそれより長いその一節を引用するか、意識して演説をつくりあげている（ヒラリーの演説草稿は直前までオバマ陣営に渡さずぎりぎりまで練り直していたらしい）。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
テレビではヒラリーの演説の表情まで事細かく分析され、その真意が論じられる。&lt;br&gt;&lt;a href="http://edition.cnn.com/video/#/video/bestoftv/2008/08/27/mxp.hill.body.language.cnn"&gt;Clinton's body language&lt;/a&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
政治家たちが家族に価値を置いていることもショーとして示される。（ミシェル・オバマやバイデンの息子が演壇に立ち、ヒラリーを紹介したのも娘。そしてオバマの叔父、バイデンの妻・子ども・孫等々が、紹介されたり、ステージにあがったり・・･バイデンが先妻と娘を交通事故で亡くしたエピソードは、会場から涙を誘う･･･）&lt;br&gt;&#13;
もちろん、それぞれマケインや共和党のダメなところを、順番に訴えるようになっているので、おそらくコーディネートされているのだろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
ショーがきちんとメッセージを運び、民主党にシンパシーをもっている人であれば、涙と感動だろう。&lt;br&gt;日本とは文化風土も社会の成り立ちも異なるのだから、比べても仕方ないのかもしれないが、彼我の違いがあまりにも大きい。&lt;br&gt;もはや日本も以心伝心の社会ではないことは明らかなのだから、社会を＜変える＞ことを本気で望む人々は、あのお祭り騒ぎの内実から学ぶべきものがあるのではないだろうか。&lt;br&gt;&#13;
その点で、小泉純一郎元首相の手法は、確かにポピュリズムと批判されてしかるべき面はあったが、やはり今の社会に適したメッセージを伝えていたのだ。&lt;br&gt;&#13;
日本的なコミュニケーションや文化を捨てる必要はないが、少なくとも、圧力団体や労組に基盤をおいた政治コミュニケーションは終わっていることは確かである。&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&#13;
アメリカ合衆国が移民社会だからこそ、言葉による説得と確認が必要だったのであり、また、家族の紐帯が特に重要視されるということだろう。日本の社会の成り立ちがそれとは異なることは自明だ。しかし、＜モラルが低下し、日本の良さが失われた＞と多くの日本人が感じている今だからこそ、政治を変えようという人々は、新しいスタイルのもとに＜日本的な良さ＞を再構築するというメッセージを伝えていかなければならないだろう。&lt;br&gt;&#13;
そういう点で、中国共産党とあまり変わらない政治文化に浸っている保守・保身の政党には、まったく期待ができないのはもちろんだが、メッセージの伝え方が、きちんと未来の文化の方向を指し示していて信用できるようなあり方はないのだろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&#13;
アフガニスタンでの事件は、本当に気が滅入る。だかこそ、世界を変えなければならないのだが、それは本当に変えるということだ。次の総選挙で絶対に政権を変える。それができない国民ならもうおしまいだ。&#13;
&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&#13;
ＰＳ．　福田首相はメルマガで次のように言っている。&lt;br&gt;&#13;
&lt;Blockquote&gt;ＮＧＯの一員として４年以上にわたって農業指導にたずさわり、現地の子&#13;
どもたちからも慕われていたという伊藤さん。自らの身の危険もかえりみず&#13;
アフガニスタンの人たちのために努力してきた若い命を奪った非道な行為に&#13;
対して、本当に強い怒りを感じています。&lt;/Blockquote&gt;&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&#13;
よくぞ言った。では、その怒りに基づいて、何を具体的にするのか、ぜひそれを期待したい。そういう点では福田首相は小泉純一郎よりはずっとましなのだから。&lt;br&gt;&#13;
また、&lt;a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080828-00000026-maip-soci"&gt;天皇、皇后両陛下　コンサート鑑賞取りやめ&lt;/a&gt;というニュースにも得心がいった。今上天皇の姿勢が明確に現れている。
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      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>８月の狂躁と福田首相のまともな言</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/08/15/3694435</link>
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      <pubDate>Fri, 15 Aug 2008 23:16:40 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-08-16T00:33:54+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-08-16T00:33:54+09:00</dcterms:created>
      <description>月遅れの盆休みで昼間からテレビをつけると、北京オリンピックを扱っているのはいいとして、その扱い方は、毎度のことならがら、あまりにも画一的でつまらない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
選手がメダルをとることをめざすのは当然だけれど、何でテレビ局員まで、それだけに一喜一憂しているのだろうか。選手の地元だとか出身校だとかで、一堂に会して応援する図を何回もやられるとさすがに嫌気がさす。真剣に応援している人々を利用して絵をつくるテレビ局の安易さと、応援する小学生くらいの子どもたちとほとんど同程度のテレビ局員の言動を見せられて、テレビのスイッチを切るしかないのが何とも言えない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
もう何回もいわれていることだけれど、日本以外の世界中の国々選手のすばらしいパフォーマンスや記録更新の場面はほとんど見ることはできない。日本の選手がメダルをとることがオリンピックのすべてであるかのような番組の作り方はいったい何なのだろう。「世界の若人の祭典」として純粋に、各国選手の手に汗握る苦闘を見た、あの昔のオリンピック中継はどこにいってしまったのだろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
８月１５日の＜終戦＞記念日に関する報道がまたひどするぎる。たとえば、ＮＨＫ総合の９時過ぎのニュースでは全国戦没者追悼式の天皇のことばは伝えたが、福田首相の式辞や河野衆院議長の追悼の辞については、まったく紹介すらしなかった。いったいどうなっているのだろう。&lt;br&gt;福田首相は次のようにまとまもなことを述べていた。これは、内外に対する重要なメッセージではないか。&#13;
&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&lt;Blockquote&gt;今日、一部国際社会の情勢が不安定さをみせる中、一国だけの利益を追求しようとする風潮がないとは言えません。その中にあって、私たちは、内向きな志向の虜（とりこ）になることなく、心を開き、そのまなざしをしっかりと世界に向けながら、歩んでいきたいと思います。&lt;/Blockquote&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
また、河野議長も&#13;
「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる施設の設置について真剣に検討を進めることが強く求められている」と大切なことを述べている。これを無視するのが「報道の自由」を担う公共放送局なのだろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&#13;
オリンピック開催国の中国では、外国メディアの「報道の自由」すら尊重しない政府が、国民の「表現の自由」をふくむ人権を抑圧し、行動を管理しており、本来のオリンピックの精神とまったく相反する事態が展開している。ふりかえって、日本のマスメディアは、自由を担う責任を十分に果たしているのだろうか。&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&#13;
オリンピック開催に合わせて軍事衝突を推進し、客観的には共犯関係のグルジアとロシアの（そして、その背後にいる当時国以外の）権力者たちによって、庶民はさんざんひどい目にあっている。その現実を伝えるべきメディアに必要なのは、狂躁ではなく、「批判精神」とまともな「理性」だろう。それらに欠けるから、オリンピック番組も薄っぺらで＜感動＞の減価を招いてしまうのではないか。
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      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>日本国憲法体制をどう評価するか</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/08/12/3687967</link>
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      <pubDate>Tue, 12 Aug 2008 22:27:32 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-08-12T23:33:33+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-08-12T23:30:59+09:00</dcterms:created>
      <description>日曜日の午前中に、サンデープロジェクトという番組で「秋葉原無差別殺傷事件と日本社会」と題して、櫻井よしこ・姜尚中・香山リカ・東浩紀の諸氏が議論していた。他のブログでも話題とされているようであるが、愚想を少し。&#13;
&lt;br&gt;&lt;br&gt;やはり、私にとってとても滑稽だったのは、櫻井よしこ氏が＜今の憲法が家族ではなく個人、義務や責任ではなく権利・自由ばかりを強調していることに社会の病根があり、このような事件が起こるのだ＞というような趣旨の発言をしていたこと。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
「この人たちは、６０年間オウムのように同じことをよくも繰り返せるものだなー。何とかの一つ覚えなどというが、そこまで徹せられるのは、さすがだなー」と感服するしかない代物だった。実際、この種の発言は、＜革新の時代＞だった６０～７０年代だって、ちょっと田舎に行けばよく保守オヤジがアルコールが入るとくだを巻いて言っていたことだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
ただ、現在がちょっと特異なのは、朝日新聞が大株主でもあるテレビ朝日系列の番組で、元「左翼」司会者が、けしかけてそのような発言を堂々と日曜の午前中の番組でさせているという、滑稽を通り越して、日本の民度が如何ほどかを如実に示す状況に立ち至っているということである。しかも、このような、とりあえず＜低レベル＞というしかない発言について、姜尚中や東浩紀のような一応知性を持っている人が、正面からたしなめることだにしない（できない）という惨状なのである。&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;もちろん十年前なら、無教養なオヤジなどの、こういう低レベル発言は、＜ハイハイ、ソウデスネー＞とスルーしても全然問題ではなかった。しかし、ネットの世界をみれば分かるように、こうした発言が確実にリアルな力をもってしまうような、社会状況を勘案すれば、きちんとたしなめることくらいする必要がある。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
市民的自由の裏には責任が張り付いていること、個人の尊厳に立脚した人権の普遍性があるからこそ他者の人権の尊重が必要になることは、社会科学的教養のイロハである。日本国憲法が立脚する近代社会の個人主義が前提されるからこそ、全体主義国家による拉致犯罪を許してはならず、薬害エイズや農薬入りギョウザ販売を徹底して追求しなければならず、無差別殺傷行為の責任主体を問うことになるのではないか！&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&#13;
憲法の改正は必要である。そのことと自由民主主義をあしざまに否定することとは全然レベルの違うことである。&lt;br&gt;憲法の自由や民主主義、人権や個人の尊厳という根本原理を、こうも低俗に貶める発言を＜知識人ぽい人＞してしまうという、超イデオロギー主義ultra-extremismが、未だに蔓延しているのが日本のマスメディアの実情というところなのだろう。いつまで冷戦思考の後遺症に浸って自己満足していたいのだろうか？&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
櫻井氏が、本当に人権思想・自由民主主義を否定し、全体主義を称揚したいなら、もう少し真正面からその原理に闘いを挑むべききなのだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
だいたい、日本では、「ブルジョワ民主主義」に基づく日本国憲法を否定するべき左翼勢力が、なぜか「護憲派」になってしまうというおかしな事態が生じている。&lt;br&gt;左翼勢力こそ、＜労働市場を自由化し、派遣社員の無権利状態をつくり出す、資本主義経済体制＝日本国憲法体制こそ諸悪の根源である＞と言って然るべきなのだが、櫻井氏たちはその代行をしてやっているということなのだろう。
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      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>滅びつつある日本社会</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/07/23/3645512</link>
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      <pubDate>Wed, 23 Jul 2008 22:21:12 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-07-23T23:29:01+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-07-23T23:05:34+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080723-00000043-mai-soci"&gt;＜八王子殺傷＞現場近くで包丁購入　「誰でもよかった」&lt;/a&gt;&lt;br&gt;&#13;
と伝えられる、＜八王子通り魔事件＞についても、＜秋葉原通り魔事件＞と同様に、深い取材に基づいたジャーナリストのレポートを待ち望んでいる（そのようなジャーナリズムが今の日本に存在するかどうか心もとないが）。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
ともかく、犠牲になった若い大学生が、未来に向けた日常を生きていられた様子をきくと、本当に暗澹たる気持ちになる。そして、怒りを感じずにはいられない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
紋切り型の物言いであるが、おそらく、中学時代から不登校に追い込まれ、孤立感と不遇感につかまってしまったのではないかと想像される容疑者のような人々が生み出されているのが、現在の日本社会なのではないか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
今の日本で起きていることは、凶暴性を潜在させている私たち人間を抑制するような＜関係性＞が機能不全に陥っているということなのだろう。日々の鬱陶しさについて愚痴る相手すらいなかったり、精神的に落ち込んでいるときに心配してくれる相手も見いだせなかったりする人間関係を生きている人々が増えているのだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
今回のような＜通り魔事件＞に類似した事件や、未遂に終わった事件はあまたあり、私たちはそれらにほとんど慣れてしまっている。&lt;br&gt;&#13;
そのことから、私が連想するのは、時々目にする電車の中で＜危ない人＞に遭遇した時に、多くの人が知らぬ顔をして目を伏せるあの光景だ。あるいは、公共の場で飲酒や喫煙をしている、明らかに未成年の集団を横目にして足早に通り過ぎる＜社会人＞たちの様子だ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
そして、大衆的に政治行動がほとんど起きないに等しい、不気味な日本社会の有り様だ。&#13;
&lt;br&gt;たとえば、今日のニュースには、&lt;a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080723-00000019-mai-int"&gt;＜セルビア＞カラジッチ被告の支持者ら暴れる　ベオグラード&lt;/a&gt;という報道があった。セルビアの右翼はこうして直接的に行動に出る。ところが日本のウヨクのほとんどは、ネットで罵詈雑言を浴びせることが行動だと思っている。（左翼もまったく同じだ。こちらはもっとひどくて業界としての儀式があるにすぎない）。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
人と人とがぶつかり合わず、摩擦を避け、少数派を排除し、＜ヘンな人＞を圧殺し、言上をせず、同調したふりをし、利権を＜権利＞として絶叫するクレーマーとなる人々の群れ。＜関係性＞がずたずたになった、今の日本社会は滅びる方向に向かっている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
＜人と人との関係の総体＞としての社会関係の深部で起きていることと通底していない、＜政治＞や＜経済＞の議論は無力である。政権与党はもちろん、それを批判する政治勢力の人々も、どこまでその認識をもっているのだろうか。
</description>
      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>ガイアの夜明け 絶望職場に光を</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/05/06/3478734</link>
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      <pubDate>Tue, 06 May 2008 23:04:49 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-05-06T23:26:33+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-05-06T23:26:33+09:00</dcterms:created>
      <description>テレビ東京で「ガイアの夜明け　絶望職場に光を！～働くものに明日はあるか・第２章」を見た。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
ドキュメンタリーとしては、最上とはいえないかもしれないが、ここに出てくる人々の画面に現れない、葛藤や苦悩に思いをいたすことができた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
田原某を筆頭とする、メディアで大きな顔をして社会をあれこれ論じる連中には、この番組に登場するＫＤＤＩの国際オペレーターやガソリンスタンドの若者の言っていることは、わかるはずもないだろう。&lt;br&gt;&#13;
格差や貧困という実態を指摘することが、資本主義を否定することだと思っている、洗脳された人々はまだまだこの社会ではメインストリームなのだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
でも、御手洗某さんの会社がスポンサーで、天下の日経が「協力」を掲げる番組で、このような内容を制作・放映できる日本社会への愛国心（パトリオティズム）を再確認できたともいえる。&lt;br&gt;&#13;
このクニの未来は、この現実と本当に格闘して、御手洗某をはじめとする優秀な経営者、洗脳に長けている御用評論家たちを圧倒する論理と倫理を、庶民が突きつけることができるかどうかにかかっている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&#13;
そして、結局、お前は何をしているのか！という問が戻ってくる。&lt;br&gt;&#13;
今の私には、昨日の記事に載せた中島さんの歌を彼女／彼らに送るしかないが。
</description>
      <dc:subject>レビュー</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>庶民性</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2008/05/06/3473050</link>
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      <pubDate>Tue, 06 May 2008 00:09:06 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-05-06T00:52:29+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-05-06T00:22:23+09:00</dcterms:created>
      <description>２００８年の連休週間。国会ではガソリン税の暫定税率復活法案が、日本国憲法の規定に即して可決された。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&#13;
そして、憲法記念日を迎えたけれど、それは私にとっては、ただの「黄金週間」の一日でしかない。せいぜい新聞の社説を読んだだけ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&#13;
４月末日の長い行列に加わる時間もなく、５月になってガソリンを満タンにして、高速道路を走る羽目になった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&#13;
チベットの人々の生活に何の関心もないくせに、大騒ぎをしている日本メディアの欺瞞につき合う必要もないけれど、所詮、立憲制が担保れていない国家と、立憲制を空洞化させつつある国家の「外交」に期待などできるはずもない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&#13;
オタクと買い物客と外国人がごった返す秋葉原で買い物をしてきたが、東京の街は、モノと時間を消費する人々の、日常的な休日がゆっくりと進行していた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&lt;object width="425" height="355"&gt;&lt;param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/MfeRPIIqHBc&amp;hl=ja"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="wmode" value="transparent"&gt;&lt;/param&gt;&lt;embed src="http://www.youtube.com/v/MfeRPIIqHBc&amp;hl=ja" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="425" height="355"&gt;&lt;/embed&gt;&lt;/object&gt;
</description>
      <dc:subject>生活</dc:subject>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>ここまで来た政治の劣化</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2007/11/06/1894906</link>
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      <pubDate>Tue, 06 Nov 2007 23:07:48 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2007-11-06T23:17:57+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2007-11-06T23:17:57+09:00</dcterms:created>
      <description>先週以来の自民・民主の「大連立」騒ぎだとか、民主党の小沢辞任会見と「元に戻ってきて」騒ぎだとか、あきれて果てて、日本国民であることが悲しくなってきた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&#13;
この「選良」たちは、一応、議会制民主主義の原則を知っているはずだ。原則は日本では「タテマエ」に転化するするが、それでも「タテマエ」をすべて忘れてしまったら、欲望から発する直接的情動に堕してしまう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
「大勲位」だとか元ニッキョーのマスコミのドンだとか、もともと「タテマエ」の裏側での蠢きを糧にしている連中と、同じレベルに堕してしまって、何がマニュフェストだ。何が市民の政治だ。生活第一だ。&lt;br&gt;&#13;
&lt;br&gt;&#13;
おそらく、私たち庶民の仕事や生活の場での政治も、きっとこういう惨状を呈しているのだろう。私たちの反映が、この騒ぎというわけなのだろう。あまりに悲惨である。
</description>
      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>書く言葉がない、惨憺たる状況。</title>
      <link>http://anyplace.asablo.jp/blog/2007/09/24/1818304</link>
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      <pubDate>Mon, 24 Sep 2007 21:59:48 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2007-09-24T22:16:06+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2007-09-24T22:16:06+09:00</dcterms:created>
      <description>後世の歴史家は、現代の世界をどのように描くのだろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
「聖戦」・「対テロ戦争」の名の下に行われる殺傷を止めることができず、「所得分配の公正化」という歴史的成果を「公正な競争」の名の下に圧殺する欺瞞に満ちているこの世界。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
そういう異常な世界の中で、日本の政治状況がまともでないのは仕方ないのかもしれない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
しかし、今起きていることは、その世界のひどい水準にすら達していないのではないか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
今日、疲れて仕事から戻ってみた「公共放送」のニュースでは、一国の現首相の記者会見をまともに見せることもしなかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
この国の政治の程度につき合うことなど、正常な精神をもってしては不可能だ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
この惨状に対して、私はもはや何も語る言葉が出てこない。&lt;br&gt;&#13;
この政治社会の現実の一端を担っている、ちっぽけな公民としての自分自身があることは否定できないにしても、いや、だからこそ、何を言うことが出来るのだろうか。
</description>
      <dc:subject>時評</dc:subject>
    </item>
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