ロンドンの悲劇2005年07月10日 22時31分21秒

 ロンドンのテロを、何らかの既視感めいたものをもって、私たちは見ていたのではないでしょうか。
 やはり来るものが来たと思ってしまう部分があるのです。

 あのような惨劇を引き起こす人々の、それをやりとげる意思を支える、「正義感」の恐ろしさを感じます。
 ただし、恐ろしいといえば、毎日のように何十人単位でイラクなどで、殺されている人々がいるのに、その報道には慣れてしまっている私自身の感覚も、さらに恐ろしいといえます。

 「対テロ戦争」なる、無辜の市民を死に至らしめることになる攻撃(アフガンやイラクやパレスチナで)を命じた人々の「理性」に潜む狂気と、同質のものがロンドン・テロを実行した人々の「正義」にも染みついています。

 無差別テロや無差別殺傷「反テロ」戦争を遂行する、「正義」や「理性」に対して、日々の暮らしを保守したい市民の意思をぶつけていくことを基底にして、考えていきたいものです。

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