いくつかのブログを読んで ― 2005年10月09日 00時07分53秒
左派(左翼)の中で一番大きい党派、日本共産党について、このブログでこれまでも言及することがありました。その指導部=中央委員会について、何も期待していないという主旨のことをこのブログに書いたことがあります。
総選挙の「総括」をめぐって、いくつかのブログでは社共共闘(社民党と共産党との共闘)について議論されていました。新自由主義や国家主義による「改革」や改憲の動きに対抗していくためには、共産党についても、何かを言わざるをえなくなるのだと思います。私自身も庶民の一人として、そうしているつもりです。
さて、日本共産党が民主集中制等に象徴されるスターリン主義=左翼全体主義を完全に克服できないかぎりは、おそらく一貫した民主主義的政治勢力として発展はしないでしょう。
また、法の支配や立憲主義といった「自由民主主義」の理念を否定したマルクス・レーニン主義=科学的社会主義を(改竄して薄めるのではなく)理論的に克服=自己批判することが必要でしょう。さらに市場を介さない社会的労働の直接的な結合=計画経済という社会主義理念を揚棄し市場経済を原理的に是認することも求められるでしょう。
ともかく、何と言ってもスターリン主義を克服することなしに、内的には常に「正しい中央の方針」が官僚機構を経て、現場でこつこつと活動する人々へと降りてくる疎外状況を完全に払拭できないだろうし、対外的には党の「正しい」路線を「大衆団体」に押し付け、またたとえば新左翼の人々を「ニセ左翼」と侮蔑し時には暴力的に襲いかかった所業の淵源を克服できないでしょう(その被害の側にいた草加耕助さんがブログ(旗旗)に書かれています)
何だか長々しくなってしまいましたが、民主党や社民党の政治家は「うちの党もこんな問題があってダメなんだよね」と外部の人に普通に語るのに、共産党の政治家はそうでない。何だかおかしな体質だなという庶民常識が大切だと思います。くどくど言うと、それはスターリン主義=左翼全体主義の思想が根底にあって歴史的に形成された「文化」なのですが・・・まあ、それは置いておいて・・・・、共産党の中にも「それはおかしい」と外部に向かって言える人が増えてきたのでしょうか。ブログ「カッシーニでの昼食」でともえさんは、一昔前なら確実に党内で処分されたと思われるのですが、ストップ・ザ・コイズミのバナーを掲げて「左翼・右翼を超えて」とまで言われています。
ぜひ、ともえさんのような共産党員の方に、頑張っていただきたいです。(ご迷惑かもしれませんが)
共産党が内外で多様な意見を交換し議論できる組織になっていけば、その政策や理念への賛否はともかく、日本の政治にとってプラスであることは間違いありません。
現状を左派全体の弱体化の中で、組織規律が緩んでいるだけとの見方もあるかもしれませんが、70年代初頭に粛清・弾圧された「新日和見主義」派の残存した人々やその下の世代の人々が経験を生かして面従腹背で少しずつ空気を変えているのかも、というのは希望的観測でしょうか。
それから別のブログなのですが、共産党の影響力が強い大学について、労働者Lさんが書かれていることも、いろいろな所で見聞きしますが、今後の「観測結果」を期待しております。
[追記]自分のことを少し書きますと、私は、小学生高学年の頃より『赤旗』を読み始め(今はほとんど読みませんが)、18歳より10年ちょっとこの党派に関わりました。一時期までは不破哲三と上田耕一郎の著作は全部!(「禁書」になった『戦後革命論争史』を除く)読みました。『人民的議会主義』や『先進国革命の理論』を線を引いて読んだ時もあったのです。でも「活動」ではいずり回りながら読んだ、『レーニン10巻選集』とか『マルクス=エンゲルス8巻選集』(今でも売られているのでしょうか)の方が格段におもしろかったのは、当然ですが・・・(と懐古趣味に走るのもバカな元左翼の悪癖でしょうか)・・・。 というわけで、渡辺恒雄や西部邁や高野孟が、自らが関わった党派について言う程ではない?と信じたいのですが、私もバイアスがかかっているのかもしれないとは思っています。
コメント
_ 労働者L ― 2005年10月09日 10時02分03秒
_ ともえ ― 2005年10月10日 07時07分13秒
ひとつだけ思ったんですが・・・私は民主集中制は「組織」を作るうえでやむをえないと思っています。民主集中制を政治に反映させたらスターリニズムでしょうけど、一個の組織上となると、スターリニズムとはちょっと性質が変わってくるような気がするんです・・・古典などほとんど読んでないのに偉そうなことは言えませんが・・・。
それでも共産党の体質が万人に受け入れがたいものだということは事実だと思います。中から変えていくしかないですよね。頑張りたいです!
_ memphis ― 2005年10月10日 16時44分54秒
民主集中制については、観念としてのタテマエ・教条ではなく、現実から、それがどのように機能してきたのかをみていく必要があると思っています。民主集中制によってどれだけの共産党員の命が抹殺されたのか(共産党が権力を握った国で)、日本では61年以降も含めて、どれだけ「中から変えて」いこうとした人々が排除され、中には人生をメチャクチャにされたか・・・・。当たり前ですが中央の御用「理論家」の著作や機関紙誌を鵜呑みにしていてはけっしてわからないのですが、まず、事実から目を背けずに、そして一つ一つ自分の頭で考えていくしかありませんね。自分の身の回りにある「おかしいな」と思う事実の断片を見逃さず、それらのことといろいろな立場の言説・著作・情報を総合して、「すべてを疑う」(マルクス)の精神を忘れないで考えたいものです。(すみません、説教がましくて)。
今後とも宜しくお願いします。
_ てっかん ― 2005年10月11日 15時01分05秒
私がまだ納得できていないのは丸山真男批判のみです。……とこう書くと、(大げさにいえば)現代日本では「党員の中にくすぶる批判」という題名でマスコミに扱われるのが今の現状なのです。だから一般党員は大会決定時に、方針に対する「あら捜し」をします。この制度では確かに「急激な方針転換」は出来ません。しかしそれをやって失敗したのが歴史の教訓であり、無節操でいつも失敗しているのが社民党、民主党ではないでしょうか。私は近代政党としては共産党は王道を行っていると思っています。
_ memphis ― 2005年10月11日 21時39分18秒
「意見が違ったからではなく規律違反をしたから」とされて排除された人々(スターリン時代から「反党分子」「反革命分子」というグロテスクな用語の対象になってきた人々)がなぜ量産されるのかを考えて頂きたいということです。そのことと日常の「活動」の中の「不満」とがどのように通底していくのか、それを判断するのは、最終的には社会に規定された私たち個々人でしかありませんが。
万が一関心がおありなら、「民主集中制」について議論されてきた(党中央非公認の)著作や、61年以来の排除された側の言い分は書籍・HPで沢山出ています。(蛇足:ソ連共産党や朝鮮労働党も確かに近代政党ではあります)
_ tajima ― 2005年11月10日 03時00分10秒
_ memphis ― 2005年11月10日 23時19分17秒
_ 革命21事務局 ― 2008年10月15日 13時58分16秒
貴ブログへの突然の書き込みの非礼をお許しください。「革命21」準備会の事務局
です。この度、私たちは「運動型新党・革命21」の準備会をスタートさせました。
この目的は、アメリカを中心とする世界の戦争と経済崩壊、そして日本の自公政権に
よる軍事強化政策と福祉・労働者切り捨て・人権抑圧政策などに抗し、新しい政治潮流
・集団を創りだしたいと願ってのことです。私たちは、この数十年の左翼間対立の原因
を検証し「運動型新党」を多様な意見・異論が共存し、さまざまなグループ・政治集団
が協同できるネットワーク型の「運動型の党」として推進していきたく思っています。
(既存の中央集権主義に替わる民主自治制を組織原理とする運動型党[構成員主権・民
主自治制・ラジカル民主主義・公開制]の4原則の組織原理。)
この呼びかけは、日本の労働運動の再興・再建を願う、関西生コン・関西管理職ユニ
オンなどの労働者有志が軸に担っています。ぜひともこの歴史的試みにご賛同・ご参加
いただきたく、お願いする次第です。なお「運動型新党準備会・呼びかけ」全文は、当
サイトでご覧になれます。rev@com21.jp
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わたしは共産党系の人たちとは付き合いがあまりないので、内部の事情などはほとんど分かりません。もし共産党について間違ったことを書いていたら、遠慮なく指摘してください。