雑感2006年11月06日 00時41分39秒

大正デモクラシーが「憲政の常道」なる不十分な立憲政治しか実現できずに崩れ去っていったように、今やまた戦後民主主義も不十分な形式的「自由民主主義」とともに死滅しようとしています。

祖国を形作りし文明を分有してきた近しき兄弟姉妹国民を罵るという<いじめ>心性が充満するこの国の暴力的雰囲気が、日常的テロと他律的エセ秩序を生み出し、子どもも大人も神経を病むような社会関係に追いやられています。

朝のテレビでは人を血祭りにあげることが正義であるかと錯誤した下司文化人が咆哮しています(「リベラル」!な新聞社が出資するキー局ほどひどいのは、これまた戦前の大新聞社を思い起こせます)。

もちろん、大正デモクラシーの水脈が戦後民主主義を育んだように、死滅していく戦後民主主義は、次の全体主義後に高次のデモクラシーを再建していく肥料にはなるでしょう。

「美しい国」という全体主義は、所詮、内容空無で不安に怯える弱きファシストの暴力による無秩序によってしか支えられないので、その崩壊に長時間を要することはないと思われます。浜口雄幸が刺され昭和恐慌となってから、日本軍国主義が崩壊する(たとえば軍人たちの皇軍物資盗奪も含む軍隊崩壊=実は暴力が覆い隠していた秩序の崩壊などを伴って)までたった15年です。

だからこそ、あの頃もそうだったように、全体主義者は自らの空洞を暴力でしか埋められぬ焦燥に絶えず突き動かされる、哀れむべき存在なのであり、私たちはその人々をこそ救出しなけらばならないのでしょう。