ガイアの夜明け 絶望職場に光を ― 2008年05月06日 23時04分49秒
ドキュメンタリーとしては、最上とはいえないかもしれないが、ここに出てくる人々の画面に現れない、葛藤や苦悩に思いをいたすことができた。
田原某を筆頭とする、メディアで大きな顔をして社会をあれこれ論じる連中には、この番組に登場するKDDIの国際オペレーターやガソリンスタンドの若者の言っていることは、わかるはずもないだろう。
格差や貧困という実態を指摘することが、資本主義を否定することだと思っている、洗脳された人々はまだまだこの社会ではメインストリームなのだ。
でも、御手洗某さんの会社がスポンサーで、天下の日経が「協力」を掲げる番組で、このような内容を制作・放映できる日本社会への愛国心(パトリオティズム)を再確認できたともいえる。
このクニの未来は、この現実と本当に格闘して、御手洗某をはじめとする優秀な経営者、洗脳に長けている御用評論家たちを圧倒する論理と倫理を、庶民が突きつけることができるかどうかにかかっている。
そして、結局、お前は何をしているのか!という問が戻ってくる。
今の私には、昨日の記事に載せた中島さんの歌を彼女/彼らに送るしかないが。
『滝山コミューン1974』 ― 2007年05月27日 13時27分34秒
この本『滝山コミューン一九七四』は、私を1970代にタイムスリップさせてくれました。
私は、中学生で、その年頃にありがちな傾向もあって、衆議院全選挙区の星取り予想を新聞に書き入れ、周囲の大人が「そこまでいかないよ」と反応していたのに、結果として「革新共同」も含めて共産党が40議席に達したので誇らしかったという、くだらないことを突如思い出したわけです。
著者の原武史氏は、当時の具体的な社会状況をご自身の体験に基づいて描いていきます。当時の小学生だった著者よりは、私は少し上であったけれど、同じ衆議院選挙区に居住し、同じように「民主教育」の影響力が強かった公立義務教育を受けていた者にとっては、あまりにもリアルな出来事が本書では展開されています。
だから、この本を読んで、多くのことを突きつけられました。あれから30年以上経て、考えなければならない多くの課題を。
たとえば、あの頃、「憲法を暮らしに生かす」というスローガンがありました。革新自治体が簇生する状況の中で、多くの人々が「平和と民主主義」を自らの生活に結びつけて、考え行動したわけです。
しかし、同時に、本書で描かれているように、まさにその「憲法を暮らしに生かす」運動潮流自体に中に、個を圧し殺してしまう要素が胚胎されていました。
そのことと、安倍政権のもとで憲法の精神自体を圧し殺そうとする動きとは、直結するわけではありませんが、多くの伏流として歴史の重層の中に入り込み、現在の<危機>を形成する要因となっていることも事実だと思うのです。
本書でも、著書は「君が代」斉唱が強制される、今の学校現場の現実を想起しながら、「民主教育」が行った同様のことがらを(こう書いてしまうと抽象的なので、この本を読んでいただくしかないのだが)、抉り出しています。
また、自分の職場など周囲で、個人を圧し殺すようなことが起きたとき、反射的にそれに抵抗するようになることが大事だという(表現は不正確)、鶴見俊輔が強調していたことも思い出しました。この本で原武史少年は、周囲が目を輝かせて「コミューン」に飲み込まれていくのに、それに対する違和感・抵抗感を失うことはありませんでした。
個人的にも、私は小学校からの教育の中で、「君が代」を強制的に歌わされたことはありません。その事はとても良かったと思います。同時に、本書で描かれているような学習や生活をめぐる、「班競争」の活動を(多少薄められた形だったとは思いますが)経験したことを思い出しました。そして「班長」が「班員」を選ぶという行為を私は「班長」として嬉々としてやっていたことを思いだし、非常に暗い気分になりました。
もちろん、私の「民主教育」経験は、おそらく、あの民間教育研究団体の直接的影響力がそれほど強くなかったからか、「滝山コミューン」ほどではなかったのではないかと思います。
だからか、小学生の時から『赤旗』を読み、その非デモクラット的要素について、それなりに言語を通して感受していたはずなのに、「平和と民主主義」潮流の中に、全体主義の要素が確固として根付いていることに自覚的になったのは、かなり後になってからでした。
この本の帯には「2007年、今の「日本」は、1974年の日常の中から始まった。」とあります。私は、最初非常に違和感を感じましたが、いろいろ考えると、それは間違ってはいないというふうにも思います。
つまり、「憲法を暮らしに生かす」というスローガンが無力になり陳腐になったのは、「平和と民主主義」潮流自体の中に、そうのようにしてしまう体質があったことが小さくはないし、また、現在もそれは克服はされていないと思うからです。
軍国主義や国家主義に反対していると思っている「護憲派」の人に、特に70年代を知っている世代には読んでほしい本です。
東京新聞 星野智幸「差別はなかったか」反響特集 ― 2006年04月19日 23時59分52秒
ネット上では溢れている、「韓国が好きなら韓国へ行け」などのような、まことに恥ずかしい(おつむの中身という点でも、人としての品性という面でも)レベルのものは、新聞社への直接の「反響」としては少なかったようだ。
しかし、まともに文章を読めないからそうなるのだが、イチロー選手個人を批判したものという誤解は多かったようだ(まさに学力低下という言葉が当てはまる)。実際、WBCを通しても、竹島のことでも、メディアを通して韓国の国民=「敵」と暗黙に想定してしまっている人が多いように感じる。
私は、星野氏が率直に問題提起をしたこと自体を、とてもすがすがしく感じた。
その後、例の教育基本法の改正案が報道された。「愛国心」条項だけではない、その全体主義的体質(学校秩序条項など)は、冗談かと思うほど本当に胡散臭い。が、「愛国心はどうですか」と聞かれれば6割の人は、「いいんじゃない?」と答えてしまう思考停止状態だ。
星野氏が書いた文章が注目を集める2006年の状況こそ、自由民主主義の危機を物語っている。本当にこの国を愛するなら、黙っているわけにはいかない「暗い」状況がある。
「もしも全共闘と日本共産党が合流していたら」 ― 2005年12月12日 18時14分21秒
2月15日はロンドンで百万人の大集会があり、この数字が世界の人々を驚かせた。日本ではイラク反戦は盛り上がらなかった。せめて十万人の動員はあってもよかった。と書かれていたのを目にしたから。
イラク戦争開戦前後、2003年の3月の集会について、意義はあったが、世界の他都市と比べて、あまりにも少ない参加者だった。自衛隊派遣の時もそうだ。
宮台真司が言うように、<今どきデモや集会で吹き上がっても何の意味もない>という面は確かにある。
しかし、やはり人が街に出て意思を表明する行動は、TPOが適切であれば現実を動かす力の一つになり得る。
日本の集会の数が少ない原因について、「一騎当千のカリスマがいたからではないのか。人物がいなければ運動は絶対に成功しない」とthessalonikeさんは書いていて、(それはジョンレノンの魅力的な話になるのだが)、そういう面もあるだろう。が、私は、この日本の社会の政治・文化そのものの問題だと思う。人の意思形成や行動する力そのものを溶解させてしまった、この国の閉塞した状況そのものが根本的な原因なのだ。
もし、より多くの人がイラク攻撃に疑問をもち、周りの人とそのことを自然に話し、ある人は自然に抗議の行動に移るという状況があれば、運動のカリスマは大衆が育て・創り出すこともできたかもしれない。
そして、その閉塞した政治・文化状況をつくり出した責任の一端は、左派・革新派の政治エリートや指導者たちにもある。
最近、通読した島泰三『安田講堂1968-1969』(中公新書)には、次のようなことが書かれていた。
ひとつの仮定をここに置く。もしも、東大闘争の最終局面、つまり1968年の12月の段階で、日本共産党と全共闘が合流していたとしたなら、事態はどうなっただろうか?と。あるいは、日大では右翼・体育会と日大全共闘が合流したとする。この本は重い書である。私は、全共闘の暴力的な闘争方法を基本的に評価できないのだが、この書では、闘争の必然性とその情念をよく理解できた。著書の誠実さが伝わってきた。
・・・(略)・・・
そこから、本格的な闘争が始まるはずだ。それがどうなるにしても、日本は新しい道を模索することになる。それは、是非とも必要な道だった。
なぜ、それがよくても悪くても選択しなければならなかった道だと言うかといえば、それがなかったから、今の日本に至りついたのだと言えるからである。
引用文中の略した部分で「この仮定を語ると、当時青年だった現在老年初期の人々は、一様に『とんでもない』という顔をする」とあるが、おそらく政治運動や左翼について、ある程度の知識がある人なら、誰でも「とんでもない」と言うだろう。
しかし、この歴史の「もしも」はあまりにナイーブすぎるからこそ、現在、何が求められているかを端的に示していると、私は思う。
もしも「日本共産党と全共闘が合流していたとしたなら」が可能になっていたと仮定すると、それは東大闘争だけの話だけではなく、「左翼」の自己改革ができていたということだろう。
自己改革とは、日本共産党がスターリン主義を克服し、運動を引き回し党勢拡大の手段にすることをしないということを意味する。社会党も、新左翼諸党派も同様である。全共闘の暴力主義の傾向も同根だと思うので、やはり克服されるということだ。
いずれにせよ、その「もしも」が成立するような状況ができていれば、その後の連合赤軍事件や公労協ストの敗北やオイル・ショックがあったにせよ、「自分たちだけがいつも正しい」という独善に基づく、労働組合やさまざま分野の運動の分裂、弱体化をかなり避けることができたろう。「内ゲバ」や組合選挙での泥仕合から、若者が政治に接近できないという傾向ももう少し何とかなったかもしれない。
日本共産党内でも、大学闘争を牽引した「新日和見主義者」たちの粛清も80年代の平和運動における党員追放もなかっただろうし、中央指導者に忠誠を誓うものしか生き残れない中世的な党運営もなくなって、複数の潮流が存在するようになったであろう。
社会党・共産党・新左翼の断絶ではなく、論争は継続されたはずだし、全体主義的な社会主義を克服する道も、グローバリゼーションに対抗する方策の追究も進んだはずだ。少なくとも、68年世代が国会にもっと進出し、活躍していただろう。
というわけで、そうなっていたらなら、イラク戦争や自衛隊派遣反対の集会には50万人集まっていたかもしれないし、北朝鮮拉致被害者を支援する集会には「革新」党派が先頭にたって100万人集まっていたかもしれない。
そうならなかったのは、左翼・「革新」勢力のどうしようもない保守性、党派主義、「自分たちは正しい」という独善が大きいということではないか。「全共闘と日本共産党が合流」できず徹底的に憎悪し合って終わったように。そして、その根底には、言葉によって相手の納得を得るという民主主義的な姿勢の欠如=<物理的な暴力や多数決によって「正しさ」を押し付けようという全体主義>がある。
左翼・「革新」の今なお残るその傾向を何とかしなれば、憲法改悪や「改革ファシズム」を阻止することもできないのではないか。「決定史観」に立たずに歴史の豊かな可能性から学ぶということは、それを現在と未来に生かすということだろう。
極右政治家の暴言&「野党外交の大切さ」 ― 2005年11月03日 19時27分00秒
ともえさんがブログ「カッシーニでの昼食」で「野党外交と多国間協調主義」について書かれています。 石原都知事の「国連憲章なんて、まともに信じているばかいませんよ」 というバカ発言に関わってのエントリーなのですが、そこで言われている、
各主権国家は、国際法を遵守した場合の利益と遵守しない場>合の不利益とを比較し、国際法を遵守した場合が国益に適うと>判断するからこそ国際法を遵守するのではないか。 このシステムの中でうまく立ち回るためには、多くの国から様々>な形で信頼を得ることが必要だ。
という点については、現実論として賛成です。
昔なら「科学的社会主義に相容れない」と批判されるだろう「ブルジョワ主権国家のパワーゲーム」を前提にした発想を共産党員の方が主張するのですから、多元主義が共産党にも浸透しているということでしょうか。
ともかく石原慎太郎のような極右政治家が、国連を攻撃するのは、現実に国連が歪みや不十分さを伴いながらも、集団安全保障としての機能を前進させているからでしょう。
石原氏などにとっては、近代国家を「天皇」や「伝統」などの超越的なものに結合させて信奉することで、(暴言を吐いてしまうような)自己を保てるわけです(石原氏にとってのクスリは超越性を帯びた「国家」なんですね)。武力も含めた防衛力と国家のパワーゲームで安全保障を担保しようとする理性的な保守派と彼らが違うところです。
さて、このエントリーの後半で、ともえさんが言われている、共産党の「野党外交」についての評価は首肯できる面もあります。政党に限らず、労働運動、NGO、非政治的なスポーツ・文化交流等も含めて、国境を越えて交流し意見交換を行うことはよいことですね。
しかし、共産党の中央が行ってきた「野党外交」は非常に政治主義的であることも半面の事実ではないでしょうか。
かつて「金日成同志」「チャウシェスク同志」というように、エール交換していた相手が、どんなに人権侵害と人民弾圧を行っても、平気の平左だったのはどうしてでしょうか。共産党が北朝鮮批判し始めたのは、主体思想を日本の国内に持ち込む(唯一前衛党の「科学的社会主義」を侵害する)と認定されてからです。こうしたご都合主義について、真摯な反省がされたことはあるでしょうか。共産党のいう「自主独立」が、実は自分たち科学的社会主義神官があらゆる政治運動を一国主義的にコントロールしようという、スターリン主義の現れであることは、早くから新左翼の人々が指摘していました。
ブッシュや小泉のプロパガンダに騙されない人々こそが、別のプロパガンダの軽薄さを見抜き、それらを剔りだし克服して進んでほしいと切に願う次第です。
NHK「日本のこれから 若者」を見て ― 2005年10月23日 17時15分19秒
土曜も働かされて疲れたためか、途中少し居眠りをしてしまいましたが、「“NHKらしくない”“予定調和を排した”“本音の”討論番組として注目されている「日本の、これから」」(byNHK)の「知っていますか?若者たちのこと」を見ました。「スタジオに集まった様々な年代・立場の市民や有識者がVTRを交えながら徹底討論し、日本社会のこれからを考えていく」という番組です。
前半は、メディアが大好きな、渋屋の路上で座り込むガングロギャルやそれに顔をしかめる「大人」という図式から始まり、フリーターで生きるのは「甘い」かどうかというような、本当にNHKらしい(テレビらしい)くだらない図式の話が延々と続きましたが、我慢して見ました。
その中でも、渋谷に集まるギャルや若者たちの「サークル」が9.11に4000人近く集めて踊ったり平和も訴えたというイベントが紹介されたり、下北沢で「マンガ読み」をやっているという若い男性が現れたりと、初めて知ったこともあり、スイッチを切らないでよかったかな。
ただ、笑ったのは、スタジオにいたバカオヤジが「集会をやってそのあと、茶髪の若者たちは悔い改めたのですか?」というようなことを言って、ゲストの泉谷しげるに「くだらねーこと言うんじゃねーよ。年寄だって白髪染めつかっているだろ」云々とたしなめられていた?こと。
後半になって、やっと地方で若者が就職するのがいかに厳しいかという現実の問題がビデオで紹介され、スタジオでも放送大学教授で社会学者の宮本みち子さんが、政策的な援助がなくて若者がフリーター・ニートから抜け出せないという当然の指摘をしていました。サッチャーの規制緩和・民営化路線によってイギリスで若者の失業率が高まり暴動などが起きたことも紹介され、やっと、若者が置かれた社会的背景に目が向けられていくという展開になりました。
ただし、スタジオのワタミの社長やテレビによく出ている波頭亮 などは、若者に対して<若者はちゃんと努力しろ。社会のせいにするな>というメッセージを発し続けていました。また、横浜市で教育委員になったヤンキー先生義家弘介も、そのような状況は「まったく問題ない」と言い放ち、若者が努力をするチャンスだと宣っていました(わかってないから教育委員になれたんでしょうね)。
結局、<どんなに失業率が高かろうと、仕事はどこかにあるから見つけろ、自分で仕事を作り出せ、インターネットでどんどん起業もできるぞ、やる気があればチャレンジできる、自己責任が大切だ>というのが、新自由主義オヤジの言いたいことなのです。<どんな仕事でもやりがいがあるはずだ。文句を言わず努力をしろ>というバカげた説教も聞かれましたが、そういうことを言う連中は、この社会のシステムを底辺で支えている若者の労働の現実を知っているのでしょうか。労働基準法などまったく通用しない、治外法権の労働現場を土台にしてはじめて実現される「自己努力」と「成功」の物語!
和民社長の渡邊美樹氏は「自由主義は努力しない人はご飯が食べられない社会なんです。そうじゃなければ社会主義がいいとなる」っていうようなことを言っていました。社会主義=統制経済=国家社会主義という図式が前提で彼は言っているのですが、結局、こういうことによって、労働者の権利を奪い競争を押し付ける新自由主義を合理化し、統制経済ではない「もう一つの世界」「第三の道」をつくり出す運動をつぶしていきたいということでしょう。 ※追記:私は渡邊氏の努力や経営を全面否定しているわけではありません(よく知りませんし)。
国家に依存する「モノとり」ではダメであり、自らが仕事やネットワークを創造しなけらばならないのは確かでしょう。しかし、そのための条件と能力が剥奪されている現実が再生産されているのに、自己責任にすべてを帰する新自由主義イデオロギーは、政府や大企業の責任を免罪するだけです。そして、若者たちを無力感に突き落とし、連帯を妨げ、「奴ら」のやりたい放題を許す野蛮なイデオロギーです。
(若者だけの問題ではないですが)
ともかく、この番組の前半の図式「大人vs若者」は、「導入」として敢えて採用したのでしょうが、浅薄だし長すぎました。ガングロギャルを出すなら、彼女達の言葉にならない思いをもっと徹底的に表現させるべきでしょう。
全体としては、泉谷しげるの感覚がよかったです。
『動物農場』 ことば・政治・歌 ― 2005年09月26日 23時41分45秒
川端康雄氏の『「動物農場」 ことば・政治・歌』を読みました。
みすず書房が刊行を開始した「理想の教室」というシリーズの1冊です。多くのアホな人同様、私もそうなのですが、こういうシリーズについて、「啓蒙的すぎてどうでしょうね?」みたいにくさしてみたくなりますね。みすず書房という知的な雰囲気の出版社が出しているから。でも『「教える-学ぶ」ための新シリーズ』と銘打っているわけですから啓蒙的なのは当たり前。
そんなことを言う奴に限って、高校時代に図書館などで、こういうシリーズの1冊に惹かれて、手にとってしまったりする経験があるものです。(私のこと)
さて、この本は、最初に『動物農場』の抄訳がついていて、そして、川端先生のユーモラスな講義が読めます。今の若者にウケルかどうかは、わかりませんが、レッサーパンダの風太君の話なども織り交ぜて、興味深く語られます。そして、その内容はけっして若者向けに薄められてはいません。
私は、昔まさに「全体主義ソヴィ エトの寓意小説」としてざっと目を通しただけでした。ロシア革命とスターリン体制樹立の歴史経過が、『動物農場』での動物たちの革命の顛末として、語られているのですが、誰がみても「あのことだ」と感じさせるように、直接的に喩えられた話として、あまりに露骨な気がしました。
多分、ソ連崩壊以前に私は読んだのですが、オーウェルのソ連に対する冷笑的ともいえる視線のみを強く感じたのです。「ソ連がどうしようもないのはわかっている。しかし、ブタや羊の動物による茶番として描くだけなら、どこにも希望がない。<民主的な社会(主義)>への展望もないじゃないか」という感じだったでしょうか。
それは、私がソ連スターリン主義=全体主義の恐ろしさについて十分に認識していなかったこともあったでしょうし、また、オーウェルが書いた当時のイギリス知識人の多くが、ソ連賛美の大合唱に加わっていたという事情も実感としてわからなかったということもあります。
それに加えて、私は川端氏のこの本を読んで、なるほどと思うことがたくさんありました。革命指導者としてのブタが設定されていることに関わって、実は癒し系のブタのイメージもあることが指摘されています。そこで、寓話やおとぎ話について、知りたくなりましたね。
また、実際のブタの姿、たとえば足や指についてイメージをもつことが、この物語を味わうために必要だったということも、書かれています。実はブタの足の使い方が、政治の転変を如実に示すという、オーウェルの仕掛けについて教えてくれます。
そして、最後に、「この物語作者は、同時に自分の希望の歌を歌っている」と川端氏は書いています。なぜかは、この本を読んで実感しましょう。
孤立しながらも左翼知識人のソ連迎合について批判し抜いたオーウェルの戦いは、有名な『1984年』同様によく知られています。しかし、それは単に「政治思想」だけの問題ではなくて、もう少し根深い人間としてのあり方や感じ方、表現の仕方と関わっていたのではないかなど、あれこれと考えさせられます。ともかく、時間をつくって『動物農場』を味読したいです。
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