広島の日に思う2005年08月07日 22時08分00秒

昨日は、私的に新たなカップルの誕生に立ち会うことができ、すがすがしい思いをしました。

でも、新しい息吹の時は、偶然にも、過去を重く振り返り、この息苦しい時代にあって、希望を紡ぐ音に耳を澄ます日でもありました。
60年経て、このような情勢だからこそ、あの1945年は、重いものがあります。

ところが、日本政治は、小泉政権の杜撰で「売国的」とも言われる郵政民営化法案にヒートアップし、いよいよ正気と思えぬ事態につっこんでいくようです。
小泉氏にとっては、じっくり被爆者から話を聞くこともせず、 http://www.asahi.com/national/update/0806/OSK200508060024.html 6者協議でこれといったイニシアティブを発揮することもなく、「変人」としての信念をあくまで、貫くことに血道をあげているようです。
まだ、明日の参院本会議の帰趨はわからないし、すんなり解散などといかない可能性はあるにしても、小泉氏の「信念」には、ある意味で感服しました。

しかし、思えば、ヒトラーも、スターリンも、ポルポトも「信念」の人でありました。もちろん、こうした最悪人物に比肩するほど、小泉氏の所業は罪深いとは言いませんが、特攻隊に涙し、靖国に「平和を祈念する」ために断固参拝する、小泉氏の信念や心情が、人間的なものであるなら、せめて60年目の広島で、人間として肝心なことを忘れぬ振る舞いをしていただきたかったです。

・・・さて、ある人々からは徹底的に唾棄され、「過去の遺物」のように扱われる、<戦後民主主義>の真骨頂が試される状況に、いよいよなっていくように感じます。

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