開票番組を眺めながら2005年09月11日 21時46分30秒

 今のところ、筑紫・久米の番組を眺めながら、「テレビは相変わらずだな」と思いつつ、自民圧勝という予定通りの「報道」だか「ショー」だかわからない、お互い「想定内」のメディアの「仕事ぶり」を拝見しています。

 思えばメディアは常に「改革」を吹聴し続けています。少なくともあの「非自民連立政権」や「政治改革」の頃から、マス・メディアは「改革」を唱道し続けし続け、そして、基本的にその「改革」は勝利してきたのではないでしょうか。だから、筑紫氏も久米氏も、画面で満面笑みをたたえているのでしょう。

 さて、「郵政民営化解散」による自民大勝利で、さらに新自由主義政策が加速するでしょう。

 しかし、今度の選挙の結果から私たちは学ぶべきことは、第一に、経済政策においては、本質的対抗を具体的にシンボル化できなければ、何ら実体的な力を持ち得ないということです。「郵政民営化」という「改革」について、国民が積極的に支持も否定もしていなかったイシューだからこそ、空虚なシンボルとして機能し得たのです。

 そして、メディアを握ることができれば、それはいくらでも可能であり、本質的な対抗軸をつくり出すことは難しいわけです。もちろん、何が本質的かは、意見が分かれるところでしょうが、何よりも本質的なイシューを鮮明に、攻勢的に提出しなければいけないということです。

 第二に、新自由主義改革は、利益集団を支えた(「社会民主主義」を代替する)システムを、一つ一つつぶしていくからこそ、古いシステムをそのつどシンボルとして血祭りにあげていくことができるということです。医療・農協などにとどまらず、教育・文化・そしてそのうちマス・メディアそのものまでも。

 多くの人々は道路公団民営化の中途半端さはもちろん忘れています。郵政民営化が中途半端に、あるいは失敗した場合も、同じように他のイシューを持ち出せるわけです。

 そうしたイシューを浪費しつくすのを待つのではなく、新しい社会民主主義、リベラルの経済政策を、練り上げて突きつけていかなければ、話にならないわけです。

 政治的には、遅かれ早かれ、憲法改定です。一挙にそこに(ポスト小泉を含めた)自民党がもっていくかどうかは情勢次第です(たとえば、これからますます高まるアジアとの緊張を[謀略的要素を含めて]、「国民の安全のために絶対必要」というように喧伝して)。

 さて、その時に、今の民主党・共産党・社民党が、立憲主義的改正・護憲主義というように分裂した理念で対抗するなら(民主党の一部は改憲勢力に合流するでしょうが)、非常に脆弱な対抗しかできないでしょう。憲法改定が実現する可能性が高いのではないでしょうか。

 もし、日本国憲法の三大原理を守り抜き、国家主義や復古主義的改憲を阻止したいなら、改憲が提起されてから「保守的に反対」と見える戦術では敗北するというのが、自民党の国家主義と対決しなければならない勢力が学ばなければならない教訓ではないでしょうか。

 ということは、少なくとも民主・共産・社民という枠組みを解体しなけらばなりません。立憲主義的「改憲」勢力を含む民主党と、旧来の護憲主義の共産・社民が分立・抗争していたら、絶対に「改革」「リベラル」の顔を偽装してやってくる、国家主義的改憲を阻止できないのです。

 1週間前に覚悟していたとはいえ、やはり明日は「ブラックマンデー」になりそうなので、さすがに気分良くはないので、いつも以上に論理的に書けませんでしたが、開票をボーっとみながら(TBSはつまらないので朝日ニュースターに変えました)書いておきます。  岡田さんが今、辞意を表明したそうです。彼のCM見てもキャッチフレーズ見ても、何だこりゃという代物でしたが、でもお疲れ様でした。