新自由主義「改革」とハリケーン被害の関わりは? ― 2005年09月03日 00時23分59秒
小泉政権が推進する、新自由主義に基づく「構造改革」なるものは、日本においても貧困層の急速な拡大をもたらしていますが、新自由主義の総本山?アメリカは、貧困層が先進国の中で最大比率を占めています。それが犯罪・暴力など不安定化をもたらしていることも事実です。
ニューオリンズの状況は、経済格差だけではなくて、何でも「民営化」して公共ネットワークを破壊した結果や、銃が氾濫するアメリカの「自由」の実態なども背景としてあるに違いありません。
今は、被災者・被害者を救済することが先決ですが、自然災害にどのように対応するかは、きわめて社会的・政治的な性格をもっているはずです。
日本人も、このアメリカ社会の一断面に目を向けるべきなのではないでしょうか。「国民のための改革」などという言葉が踊るだけで、その内実を報道しないメディア、まともな討論番組一つゴールデンタイムに放送されない、選挙報道をみると、絶望的なのかもしれませんが、、ハリケーン災害の背景を探る骨太の取材をしてもらいたいものです。
ともかく、断固として改革をやる「織田信長」が、選挙で「白紙委任」の勝利を得れば、ますますアメリカブッシュ政権流の、新自由主義改革が加速されることになるでしょう。
追記:「モジモジ君の日記。みたいな。」から有益リンクみつけました。 アメリカのハリケーン被害に思う
こういうのもありました
http://www.factcheck.org/article.aspx?docID=344
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衆院選の争点:時間切れか ― 2005年09月05日 22時05分54秒
しかし、「小泉劇場」の残像として残っている、改革者としての小泉(与党)というイメージを覆すまでには至っていないという状況です。「改革を止めるな」というもっともらしいスローガンや、「そうはイカンザキ」というダジャレの効果を、年金についてのやや複雑な政策議論を通して掘り崩すということは難しい面があります。また、年金・財政問題は、民主党と社民・共産党との違いを浮き彫りにして、「何が何だかわからない」ということで議論は時間切れになっています。
年金については誰もが切実な関心をもっているのだから、問題の焦点を浮き彫りにしていく必要があるでしょう。それは、年金問題は自然災害のように起きているわけではなく、社会的・政治的な構造によって深刻化しているのだということを伝えることです。
結局、経済政策については、新自由主義・市場原理主義による「構造改革」か、セイフティーネット・公共性・互助を重視した効率的な市場主義かという(これもわかりにく言い方ですが)、理念対決としての論戦にしていかなければならないのです。「勝ち組政治」(社民党福島党首)では、残念ながら表現が稚拙です。民主党の若手政策担当者には、理念を具体的にプレゼンテーションできる人がいるようにも思いますが、いったいどうなっているのでしょうか。
小泉氏は「一部の特権階級の既得権益より、1億2千万の国民全体の利益を」といっています。http://www.jimin.jp/contents/news/170827a.html
少し政治・経済について知っている人は、保守政治家である彼による、この「特権階級」という語の使い方にぶっとんでしまうでしょう。
やはり、彼は一種の「革命家」なのです。
官僚=高級公務員と現業労働者の違いを無視して「特権階級」ということに疑問をもたない感覚は、常識の欠如だと思います。ですが、かなりの人々やメディアが、このコモンセンスを欠如させている現状を私たちが直視することも大切です。人々の心性が小泉氏を「革命家」にしている、というと極端になってしまうでしょうか。
この心性は、日々の生活の閉塞感と、展望のない社会状況によって生み出されているのだということでしょう。(まさに悪循環)
さて、靖国参拝問題とアジア外交、イラク自衛隊派遣問題などもメディアは言及していますが、まだまだ争点として浮上していません。これは、わかりやすいのだから、もっとメディアは時間を割くべきでしょう。そして、憲法・教育基本法についてまで、議論を進めるべきなのが本来の総選挙でしょうが、そこまでいくのは絶望的です。
来週は、おそらくブラックマンデーを迎えることになるでしょうが、いずれにせよ、この衆院選を通して、考えるべき材料を随分と与えられているように思います。
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「世に倦む日日」の主張を全面支持します ― 2005年09月06日 21時32分02秒
http://critic.exblog.jp/3423598
私もこのブログで「共産党がほとんどの小選挙区で候補を立てているのも、実質的に自民党に貢献しています。そういうあり方が共産党の支持をかえって減らしていることもわかっていないのです」と書きましたが(「党首討論を拒否する小泉の怯懦」 )、その観点は、thessalonikeさんと全く同じです。いや「世に倦む日日」の方が、その点を的確に提示してくれています。
私は共産党と社民党ほど国民を愚弄した政党はないと思う。共産党と社民党の欺瞞に較べれば、小泉劇場の演出政治の「騙し」もまだ可愛いものだ。日本の国民を政治不信に陥れている根本的な責任者は、実は共産党と社民党の二党なのではないか。
実は私は、ここまで言い切ることはできませんでした。でも、単純にthessalonikeさんは、共産党・社民党を否定しているわけではないのです。(共産党・社民党が合同すれば)「主張している政策は正論なのだから、必ず支持を集めることはできる」と言われているからです。
言いかえるなら、共産党・社民党の指導部は、まさに「単に自分たちが政党として生き延びるため」の観点に立っているのに対して、thessalonikeさんは(私も、と付け加えさせていただきますが)、国民・市民の立場から、小泉ポピュリスト新自由主義政権の現実に存続を阻止しようという立場にいるのです。
共産党・社民党が「自民も民主も同じだ」「ライスカレーとカレーライスだ」などということだけを強調することは、例えば、これからも靖国参拝を続けるであろう小泉氏と靖国参拝をしないと言っている岡田氏の、どちらを首相にすることの方が日本のためになるのかという側面を、まったく覆い隠してしまいます。
改憲についてでも、自民党の改憲草案と民主党内で議論されている改憲の方向が総体としてまったく同質であるかのように言うこと自体がウソですし、まともに新聞を読んでいる国民からすれば、そういうことを言う共産党・社民党こそがいかがわしく思えます。
だいたい民主党政権の樹立を経ずして、一挙に社共に政権が転がり込むなどという、ことがあり得るでしょうか。左翼の用語を使えば、彼/彼女らは、結局セクト主義・党派主義を脱することができないのです。
そして、それこそが左翼や革新勢力なるものの、傲慢さを象徴しています。彼/彼女らは、<自らの正しさ>だけを唱えていれば、いずれ国民は必ず支持してくれる、<なぜなら我々は正しいからだ>という優等生思想=前衛思想に染まっているということです。だから、理念や批判の次元と、行動や戦略の次元の関連と弁別ができないのです。
たしかに、郵政民営化批判の鋭さ、改憲問題を提起するまともさ、所得分配の歪みを突いていく健全性などの点で、共産党・社民党が民主党よりも優っていること(その意味での<正しさ>)*は多々あります。
しかし、共産党・社民党の指導部には、所与の現実を変えていくリアリズムがありません。そして、現実を変えていく本来の意味での構造改革なくして、理念を実現する変革などありえないのです。
共産党が「侵略戦争に反対した唯一の党」を誇るなら、世界中で社会民主主義者や非ソ連派社会主義者を徹底攻撃することで、ファシズムの勝利を助けてしまった歴史的教訓をこの日本の具体的現実に適用すべきです。
それができない共産党指導部は、結局、十年一日のように<正しいお経>を唱えている観照者に過ぎないと言いたいです。
以上を読んで、不愉快になる共産党・社民党支持者の方も多いかもしれません。しかし、このままでは、共産党・社民党のどうしようもなさを克服するような「政界再編」の課題が必然化するはずです。もし、指導部の限界を乗り越えてそれを実行するエネルギーがもはやないなら、遅かれ早かれ両党は歴史の藻くずと消えていくしかないでしょう。あるいは、単なる<真の革新><たしかな野党><護憲>等々などの理念愛好サークルとして細々と存続していくしかなくなります。
このことは、総選挙で小泉自民党が勝利するかどうかの結果とは、関わらず現実が提起する問題でしょう。
*この<正しさ>は、しかし、共産・社民の両党が、実は政権を現実的に担う用意も可能性もないという立場にあることからくる、抽象的<正しさ>の面が多分にあります。でも、それはそれで仕方ないし、そのような批判も民主党の政策をチェックしていく上で必要なことでもあります。
投票日が近づくけれど ― 2005年09月09日 02時52分35秒
投票日が近づく中で、自民党優勢を伝える調査が依然として多く発表されています。
自民堅調、関心高まる…衆院選・世論調査 自民好調勢い増す 民主、都市部伸びず 中盤総選挙情勢
当初言われていたよりは、自民党の勢いは衰えているでしょう。かなりの人が、年金などのあり方について真剣に考えはじめているからです。
今までの無関心層やメディアの狂騒に煽られた人々は、あまり考えずに自民党に投票する可能性は高いと思いますが、自分で判断して投票する層は、考える材料さえあれば、自民党に入れる率は低くなります。地方で民主党が持ちこたえているのは、構造改革で痛めつけられてきた地方の人々がきちんと判断しているからでしょう。
私は、直接的な選挙結果にはあまり期待しないようにしていませすが、でも、、多くの人がムードに踊らされることなく事実に基づいて考え選択していくことが、選挙後に生きてくると思います。
政局的なレベルでの政界再編ではなく、政治構造的なレベルでの政界再編も、必要になってくるでしょう。(それについては、意見を改めて書いてみたいと思います)。
多くのブログには、投票日に向けて考え、判断するのに有益な情報があります。 たとえば、「モジモジ君の日記。みたいな。」の
でまとめてもらっています。
投票日が近づくけれど(2) ― 2005年09月09日 23時26分14秒
自民党優勢を伝えるメディアの世論調査については、怪しいという不信の意見が相次いでいます。たとえば、「きっこの日記」の
たしかにメディアには落胆させれる事があまりにも多く、どの程度かは定かではありませんが、やらせ的な情報戦が戦われていることは確実です。
だから、メディアの下請けによって、小泉自民党のマジック的手法に幻惑されている人々がかなりいます。しかし、大切なことは、このマジックの手法を見抜いている膨大な人々が存在するということです。この人々こそ、歴史を前に切り開く核となるのだと信じます。
私は、多くのブログを読み、日々の生活・仕事の中で、理性的な判断をできる、(戦後)民主主義を発展させる市民・公民が確実に存在しているのだと確信しました。
そして、私たち市民・公民は、ポピュリスト的なこの手口を経験することで、確実に、何かを学んでいると思います。
うまく言えないのですが、私たちは、この小泉的な方法に対して、考えることを通して、自分たちの言葉=ロゴスを鍛え、「何か」を財産として得ているように思うのです。
ここ数年の日本の状況は、戦前の状況と似ているとよく言われるようになりました。しかし、戦前とは確実に違うのは、民主主義を支えることのできる、一定の市民・公民層の存在だと思います。
選挙の結果がどうであろうと、政権がどのようなものになろうと、私たちはこの小泉的手法との対置を通して得たものを次に生かしていかなければなりません。それは、政党や既成組織が担う作業ではないからです。
楽観的に過ぎると言われるかもしれませんが、上記のような問題意識をもって、考えて行きたいと思っています。
開票番組を眺めながら ― 2005年09月11日 21時46分30秒
今のところ、筑紫・久米の番組を眺めながら、「テレビは相変わらずだな」と思いつつ、自民圧勝という予定通りの「報道」だか「ショー」だかわからない、お互い「想定内」のメディアの「仕事ぶり」を拝見しています。
思えばメディアは常に「改革」を吹聴し続けています。少なくともあの「非自民連立政権」や「政治改革」の頃から、マス・メディアは「改革」を唱道し続けし続け、そして、基本的にその「改革」は勝利してきたのではないでしょうか。だから、筑紫氏も久米氏も、画面で満面笑みをたたえているのでしょう。
さて、「郵政民営化解散」による自民大勝利で、さらに新自由主義政策が加速するでしょう。
しかし、今度の選挙の結果から私たちは学ぶべきことは、第一に、経済政策においては、本質的対抗を具体的にシンボル化できなければ、何ら実体的な力を持ち得ないということです。「郵政民営化」という「改革」について、国民が積極的に支持も否定もしていなかったイシューだからこそ、空虚なシンボルとして機能し得たのです。
そして、メディアを握ることができれば、それはいくらでも可能であり、本質的な対抗軸をつくり出すことは難しいわけです。もちろん、何が本質的かは、意見が分かれるところでしょうが、何よりも本質的なイシューを鮮明に、攻勢的に提出しなければいけないということです。
第二に、新自由主義改革は、利益集団を支えた(「社会民主主義」を代替する)システムを、一つ一つつぶしていくからこそ、古いシステムをそのつどシンボルとして血祭りにあげていくことができるということです。医療・農協などにとどまらず、教育・文化・そしてそのうちマス・メディアそのものまでも。
多くの人々は道路公団民営化の中途半端さはもちろん忘れています。郵政民営化が中途半端に、あるいは失敗した場合も、同じように他のイシューを持ち出せるわけです。
そうしたイシューを浪費しつくすのを待つのではなく、新しい社会民主主義、リベラルの経済政策を、練り上げて突きつけていかなければ、話にならないわけです。
政治的には、遅かれ早かれ、憲法改定です。一挙にそこに(ポスト小泉を含めた)自民党がもっていくかどうかは情勢次第です(たとえば、これからますます高まるアジアとの緊張を[謀略的要素を含めて]、「国民の安全のために絶対必要」というように喧伝して)。
さて、その時に、今の民主党・共産党・社民党が、立憲主義的改正・護憲主義というように分裂した理念で対抗するなら(民主党の一部は改憲勢力に合流するでしょうが)、非常に脆弱な対抗しかできないでしょう。憲法改定が実現する可能性が高いのではないでしょうか。
もし、日本国憲法の三大原理を守り抜き、国家主義や復古主義的改憲を阻止したいなら、改憲が提起されてから「保守的に反対」と見える戦術では敗北するというのが、自民党の国家主義と対決しなければならない勢力が学ばなければならない教訓ではないでしょうか。
ということは、少なくとも民主・共産・社民という枠組みを解体しなけらばなりません。立憲主義的「改憲」勢力を含む民主党と、旧来の護憲主義の共産・社民が分立・抗争していたら、絶対に「改革」「リベラル」の顔を偽装してやってくる、国家主義的改憲を阻止できないのです。
1週間前に覚悟していたとはいえ、やはり明日は「ブラックマンデー」になりそうなので、さすがに気分良くはないので、いつも以上に論理的に書けませんでしたが、開票をボーっとみながら(TBSはつまらないので朝日ニュースターに変えました)書いておきます。 岡田さんが今、辞意を表明したそうです。彼のCM見てもキャッチフレーズ見ても、何だこりゃという代物でしたが、でもお疲れ様でした。
<憲法調査会>特別委員会に格上げ ― 2005年09月16日 00時11分38秒
実態のない空虚感のみが残る、スカスカな深刻さともいうべき、9.11選挙結果でしたが(たとえば73年チリや01年アメリカのそれらと比べても、質的にまったく違う深刻さ)、仕事をしている時以外は、あれこれ考えてしまい、よくありません。やはりインパクトが大きかったのでしょうね。
小泉クン、国連に余裕で行けたようだけど、ちゃんと次の仕掛けに怠りないようです。
でも、すぐにこういうニュースが流れてくるのは、いったいどうなっているのだろう。特に、民主党は機能する執行部自体がないはずなのに。規定方針なのでしょうか。でも、党内が空中分解しそうなテーマで、事を進めて何か得られるものがあるのでしょうか。まったく不明です。
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