我が国を形成する「民草」の一員として(続)2005年11月06日 21時19分36秒

三笠宮さんの意見が、4日付けの新聞に出ていましたが、「我が国を形成する「民草」の一員として」で書いたことに少し付け足して感想を書きます。その時点では、記事の中で意見が引用されていただけなので。

「とどのおしゃべり」というコラムに「ひとりごと」として書かれたそうですが、皇族であればこそ、やはり意見を述べたくなるのは自然でしょう。率直に意見を書いたこと自体には好感をもちました。

しかし、「コラムの抜粋」の内容については、驚きでもあります。(以下、『東京新聞』を参照しました)

私は「「今時万世一系の「Y染色体」を信じている懲りない人たち」と言っていることが同じではないかと危惧し」(memphis)ていたのですが、「生物学的に言うと、高崎経済大学の八木秀次助教授の論文を借りれば、神武天皇のY1染色体が継続して現在の皇室全員につながっているという事であります」と、三笠宮もまったく同意見でした。

また、「歴史上現実にあった幾つかの方法論をまず取り上げてみる事」が述べられて、その中に「元皇族の皇籍復帰」など3つの方法と並んで、「昔の様に、『側室』を置くという手もあります。私は大賛成ですが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思います。[改行]余談ですが、明治・大正天両天皇共に、『御側室』との間のお子様です」とも書かれています。

側室制度を置く方が女系天皇「容認」より優先されるというのは、本当に率直なご意見です。

さらに、「国民一人一人が・・・きちんと意見を持ち発言をして戴>かなければ」という次には、「日本国という、『国体』の変更に向かうことになりますし」という表現がコラムには元々あったたことも発見しました。

「国体」とは、一般的な「国家体制」というよりは、「天皇制」とされる大日本帝国憲法と結びついた国家体制を指す用語との理解が普通でしょう(象徴天皇制が日本元来の天皇制との議論もありますが)。皇族がこのような意見をもっていることを、私たちが知ることができたのは、収穫です。

「『天皇』はいらないという議論に迄(まで)発展するでしょう」というのは自然なことで、やはり「共和制」・「君主制」について議論するべきでしょう。