ブログが「生産的な論争」を生産するとき2005年11月09日 22時20分04秒

先日の記事で書いた、日本共産党とスターリン主義などをめぐる論争について、もう一度感想を述べておきます。

まず、僭越な言い方なのですが、今日、「カッシーニでの昼食」を読んで、ともえさんのスタンスに共感をしました。最近は、党中央テキストの受け売りオウム口調がすごく気になっていたのですが、thessalonike2さんが問われた、スターリン主義とは何かについても「少し自分で考える時間を頂きたい。石堂清倫についても、・・・是非買い求めてみたい」と言われていたからです。常に「正しさ」を振りかざす前衛主義と無縁の、こういう姿勢が、スターリン主義ではない日本共産党の萌芽なのだと思います。

私がこんなところで言っても仕方ないけれど、石堂清倫が訳したメドヴェージェフ(命をかけてソ連のスターリン主義と闘ったマルクス主義者です)もお薦めです。尚、有田芳生さんのサイトに石堂清倫の肖像の文章があります。これらの元共産党員の文章が生産的に現共産党の方々にも響くといいのですけれど。

閑話休題。

thessalonike2さんが「新しい政治構図のデザインとイマジネーション - 何をなすべきか」で、私の記事に言及して評価していただきありがたい限りですが、この問題に関する、私のおおまかなスタンスは、今まで読んだ限りでは、ほぼテッサロニキ2さんと同じだと思っています。

一応、私が感じたことを箇条書きにしてみると

1.新自由主義に対抗するには、結局、破綻した社会主義や、そのバックボーンにあった共産主義について、どう考えるかを問われざるをえなくなる。特に長期的にみた経済システムのあり方との関係で。

2.日本の政治状況では新自由主義や国家主義に対抗していくためには、日本共産党が社民党や、民主党左派・リベラル派や、市民運動や、既得権を失う保守層や・・・つまり広範な国民やと結びついていくことが不可欠である。先の総選挙でも「難しい条件のもとでの『善戦・健闘』」したなどと、狭い蛸壺で満足して自滅の道を歩んでもらっては困る。

3.1と2から、共産党が新自由主義と対抗できるように伸びるためには、結局は共産主義の問題や党名の問題とリンクしていくということ。

ここから別のレベルの内容になってしまいますが、社会主義・共産主義(・全体主義)の問題は、政治・経済・コミュニケーションのレベルで、未だ完全に克服されていない問題であるとの思いもあります。

議論・論争は必要なのだけれど、多くの方が言われているように、お互いに攻撃をすることが目的ではない。厳しい指摘も時には必要だし、熱くなることはあっても、理性的に討論していくということが必要ですね。

また、とりあず共産主義なんて関係ない、共産党を国民が利用できればそれでよい、という立場もわかります。もっとも肝心なのは、新自由主義による改革ファシズムをストップするということだという点は共有できます。

ブログが生産的な議論を生み出していくための模索も始まっているようです。